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色盲の筆者が語る「色覚多様性」という「ことば」

私は色盲です。色弱ではなく色盲です。

それを知ってもなお、メガネ屋を続けています。眼科で勤めていたこともありました。「眼」にまつわる仕事をしていると「私も色弱なんだよ」と教えてくれる方がたまにいます。

戦時中、色弱だと徴兵されない→お国のために働けない→非国民だ!

という考えだそうです。「自分が色弱っていうことを他人には言っちゃだめだよ」と教えられた方は非常に多いと思います。昭和生まれの方は特にそうだと思います。

ハンサムが色覚検査を受けたのは平成になってから。眼科の説明は上記と違い「今の世の中、差別されるものでもないし、職業選択もかなり広くなってきた。気にすることはない」というもの。

男性の20人に1人、女性の500人に1人、何かしら色覚のズレをもって生まれます。人により程度も違います。弱度の人が多く、ハンサムのような強度の人もたまにいます。ハンサム自身もずっと自分のことは色弱と思っていました。メガネ屋になるにあたり自分の色覚を詳しく知っておこうと、検査。まさかの「色盲」。

家族以外で「あの人は色弱」って認識している友人、知人、同僚は何人いるでしょうか。そんなにいないと思います。だってみんな言わないから。ハンサムくらいですよ「オレオレ!色盲なの!オレ!」と言ってるのは。

戦争も終わったのに、大手を振って公表しない、それは別の理由にあるからだとおもいます。

「差別」ですね。

色覚差別いくない!色弱を守ろう!とかそんなことは一切思ってなくてですね。色弱の当事者に差別意識も被害者意識もほとんど無いです。無い人がほとんどです。

被害者の会、みたいなものもあるんですけど、色覚が原因じゃないんですよ。全部。ぜーんぶ。原因は


周囲の人間の配慮の無さ です。


知らない人は「色盲」って聞いたら以下のような図を想像すると思います。

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全然そんなことはなくて。色弱、色盲っていうのは、サムネイルの通りに色数が減っていって少しずつセピアになっていくってことなんです。ちなみに白黒の世界は「全色盲」って言います。そりゃね、皆さん当事者じゃないですから。視力良い人はメガネがどんなものなのか、何に困っているのか、分からないし気づかないじゃないですか。

説明しようにも、色弱の人の見てる赤と、普通の方々が見てる赤は違います。でも色弱の人は普通の赤を知らないから、じゃあ何色に見えてます、こんな感じです、って伝えようがない。

知らないものについ反応しちゃうのは人間として仕方ないです。ソレを笑われた、馬鹿にされた、で傷ついた人はいっぱいいるでしょう。

でも言葉を変えたからって変わるものじゃないと思うんです。傷ついてしまった人の周囲の人は、色弱、色盲、っていう言葉を知っていたのか。またそれらの状態について知識があったのか。知っていれば、知識があればそもそも笑えないはずです。

折角認知された言葉が、変化し、複雑になり、理解しにくくなっているように思います。色弱、色盲、色覚異常、色覚特性、色覚多様性・・・差別をなくすなら「理解」が必要なのに、その情報を検索することが難しくなっていく。こういうモノはシンプルでいい。色弱、色盲という単語に戻していいと思うんです。メガネ屋としてもその方が説明しやすい。

カラーバリアフリーを謳うのはもっと後でいいです。いまそこではそんなに困ってないんです、色盲のハンサムですら。色覚がどんなもので、色弱がどんな感じなのか。理解され、認知され、みんな知ってて当たり前にする方が先だと思います。道徳の教科書に載せましょうよ、そういうの。

という自己紹介記事でした。

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