わたしが死ねなかった理由。
わたしはかつて精神を病んでいた。
今はかなり安定しているが、一度だけ、本当に死ぬ一歩手前まで行ったことがある。
誰にも言えないその時の話を、ひっそりと書き記しておこう。
物心ついた時から、いつも精神不安定だった。
家庭環境は悪くなかったと思うが、家族仲は定期的に悪くなる家だったせいかもしれない。
引きこもりでヒステリックな母親。
母親の機嫌を取る父、わたし、そして妹。
時折起こる両親の喧嘩。
わたしは母親と折り合いが悪く、事あるごとに衝突しては喧嘩していた。
思い返せば、週に一度は誰かが母親と衝突し、月に一度、1週間はほとんど口を聞かない期間があった。
そんな家だったからか、わたしはある時期から家に寄りつかないようになる。
落ち着ける場所は定期的に出来ては別れる彼氏だけで、その存在に依存していくようになった。
社会人になってから、一生に一度は経験すると言われる大恋愛をした。
4年も付き合っていた彼氏を捨て、何をしても手に入れたいと、初めて自分から望んだ相手だった。
彼はいわゆるクズと言われる人種だった。
デート代、同棲していた家の家賃、食費光熱費は全てわたしが出していた。
彼の希望で行った旅行でさえ、交通費や宿泊費、彼のお土産代まで全て出した。
盲目だったのは否定しない。それくらい熱をあげて恋した人だった。
もちろんそんな関係が長く続くはずもない。
目減りしていく貯金に反し、どんどん溜まっていく不満。
彼の周囲に女の影が見えたことをきっかけに、ギリギリで保っていた糸が切れてしまった。
依存していた、唯一の拠り所を失くす不安。
自分だけを見ていて欲しい欲望。
女への嫉妬。
精神は不安定どころか、ガラガラと音を立てて崩れていった。
客観的に見たこの頃のわたしは、紛う事なくメンヘラだった。
不安に駆られては彼を責め、スマホを覗き、怪しいものがあれば問い詰める。
彼から愛想を尽かされ、振られるのも時間の問題だった。
半ば喧嘩別れとなり、わたしの精神はあっという間に崩壊した。
世界の全てから見放されたような感覚。
とても仕事が出来る状態ではなく、体調不良を理由に休んで引きこもった。
食事が喉を通らない。飲み物すら入らない。立ち上がる気力も、風呂に入る体力もなかった。出来ることはただ一つ、彼とのLINEを見返しては涙することだけ。
もう死んでしまおうと思った。
あんなに好きになれる人、欲しいと思える人が今後現れるとは思えなかった。
もっと美人で、優しく優秀な人に生まれ変わって、もう一度彼に会いたいと思った。
しかし、死ねなかった。
死ぬ前にやり残していたことに気づいたのだ。
わたしには唯一の夢があった。
それは、生きている内に一度だけ、オーロラを見に行くこと。
「まだオーロラを見ていない」
その事実に気づいた。
そこから冷静さを取り戻すのは早かった。
ネットで検索し、カナダにあるイエローナイフという場所へのツアーを見つけ出した。
1週間ほどの滞在で、90%超えの確率でオーロラが見れる場所。
当時の価格で食事代別、20万ちょっとで参加できるツアーだった。
わずかに気力が戻った。
食事代も含めたら30万、来月からの生活を考えなければ行ける。
カナダに行こう。
オーロラを見て、その感動を胸に死のう。
それにはまずお金を下ろして、旅行代理店に行って、いやまずパスポートをとらないと、その前にシャワー浴びてご飯食べなきゃ…
と、やるべきことを逆算して、実際に行動していった。
簡単な食事をとったら眠くなり、久しぶりにゆっくりと眠った。
起きた時には、死ぬ選択肢はすっかりと消え去っていた。
あっという間に悪化して勝手に回復した、稀有な例だろうとは自覚している。
後日精神科を受診して、先生に笑われたのも良い思い出だ。
今は温厚で大きな愛情をひたすらに注いでくれる、素敵な旦那様と穏やかな毎日を過ごしている。
しかし、わたしは生きる道を選択したのではない。
偶然死に損ねたに過ぎない。
本気で死にたいと思った時に、道具がたまたま近くになかっただけのことだった。
包丁や睡眠薬が手の届く範囲にあったなら、オーロラのことを思い出していなかったら、オーロラをすでに見ていたら。
おそらくわたしはこの世にいなかっただろう。
わたしの人生はオーロラを分岐点として、大きく変わったのだ。
今の目標は、旦那様と一緒にオーロラを見に行くこと。
死ぬ前に一度オーロラを見に行きたい、この目で見れたらその場で死んでもいい、と伝えたことがある。
旦那様は笑って、「一緒に見に行こうか」と言ってくれた。
余談だが、あの時の彼に同じ言葉を伝えたことがある。
彼は泣きそうになりながら、「死んで欲しくない、死なせたくないから絶対に見せない」と言っていた。
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