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幸せな散歩を求めて。

夏の散歩は夕暮れ時に限る。

昼間、酷暑の中で目的もなくぶらぶら歩くことは危険だから、散歩好きの私も寄り道せず、目的地へ急ぐばかりだけれど、夕暮れ時は別。

夏の夕暮れの空は、何層かになったカラフルなジュースのようなグラデーションだったり、雲が奥行きを感じさせてくれて大きな空色のドームの下にいる気分になったり、四季の中でも格別だ。だけど油断して夜になったら、またぼんやりよそ見して歩くことなどできないから、ほんのわずかのハッピーアワーだ。

私の好きな散歩は、整備された並木道や花壇の美しい遊歩道より、路地に入ったり堤防脇の階段を下りたり、でたらめに歩いているうちに、小さなパン屋さんや古書店、喫茶店などを見つけたり、思いがけず見晴らしのいい場所に出たり、お地蔵さんに出会ったりするようなものだけれど、近頃は観光客の人ごみを避けて脇道を歩いていると、空き家や空き店舗が目立ち、見つけるのはゲストハウスばかりで、うう、どうしたものか…

今度引っ越したら、そこで仕事をしながら建物の一角でギャラリーショップをして、地域の人や観光客の人がたまに立ち寄ってやり取りをするような暮らしをしたいと思い、人通りが多すぎず、かといって、近隣の人しか通らないのでもなく、近所に感じの良いお店なども点在していて、自分自身も散歩が楽しめるような町が良いと思い、その条件や自分の気分にフィットする場所と物件を求め続け、先月やっと築百年ほどの古民家を見つけて、大家さんと連絡を取ったところまでは進んだのだけれど、遠方にお住いのこともあり、その後がなかなか進展しない。

考えようによっては残暑の中での引越しはキツいから、秋も深まってからくらいの方が良いかもしれない。取引先には毎日のように「いつお引越しですか」と問われ、曖昧な返事しかできず自分でも落ち着かないけれど…

少し前まで私は、宝塚のスターさんの私設ファンクラブに入っていた。あまり熱心には活動していなかったが、時々は出待ちと言って、公演を終えてから着替えて楽屋口から出てこられるまで所定の位置でじっと待ち、出てこられてわずかの時間お話などを聞いてからお見送りした後も解散の号令が出るまではその場で待ち続けたものだった。なので、百年ものの物件のためなら、数ヶ月待つことくらい一瞬のことではないかと思えてくるのだ。

ところで私は、散歩は好きだけれど、よく迷子になる。そこで、見知らぬ町を歩く時、頼りになりそうな人の後ろをひそかについて行くことがあって、例えば何かの公演を観るために初めて下りた駅だとか、旅先でタクシーを拾えず最寄駅がわからない時など、「これは」と思う人(達)の後方をついて行くと、たいてい目的地にやや近い「どこか」に行けるようになっている。

今度住む(予定の)町にはじめて物件を見に行った時も、猛暑の中、無駄に歩き回るのは危険だったけれども、来た道を戻って駅に帰るのはつまらないと思い、通りすがりの会社員風の男性が早歩きで路地へ入っていくのを、100メートルほど後ろから「ほんのり」追いかけてみると、彼はくねくねした細い道へ入り、迷いなくその先の別の路地へと進んでいった。

そのくねくね道は、小学生の頃、学校近くの幽霊伝説や怪奇事件などの噂が多数あった思い出の小道に似ていて、区画整理が進んだ街ではとんと見かけない蛇行っぷりで、途中でお地蔵さんもあり、懐かしくて味があった。その先には抹茶ソフトクリームを売る茶舗があり、たいそう美味しく、でたらめに歩いていたようなのに、人を追っているうちにショートカットして、気づけば駅はもう間近だった。

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そんなわけで、引越しの話は進んでいないものの、お店に置く(予定の)ポストカードなどを少しずつ作っている今日この頃です。

店は当初、自作のおみくじや自作の商品を置くギャラリーショップの予定でしたが、それは、ある占い師さんに「今の仕事とは別に商売をするのは大正解。でも、商品を仕入れてはいけない。物ではなくサービスを売ること。あなたは物が余って金が残らない運勢だから!」と釘を刺されたこともあるのですが、お店の話をあちこちでしているうちに、「うちの不用品、置いてくれる?」「本がたくさんあるから置いてもらおうかな…」「ガラスの小瓶とかあるからお店に持って行くわ」などと言われだして、なんだかおしゃれとは程遠いけど、古雑貨と古書もあるギャラリーショップを目指す方向になりそうです。

これまでの経過は、すごろくに例えて「1コマ進む。」、「2コマ進む。」、「3コマ進む。」、「一回休む。」、「ふりだしへ戻って、また進む」という順に5回書いています。ささやかなお店を開店するまで綴っていく予定です。