「説明力」の死活問題

直近で感じたことをつらつらと。

タイトルの通りなんですが、「説明力」が死ぬ可能性があるなぁ、、と。
仕事柄、たまーにコード(とはいえSQLレベル)をたたくことが多くなってくると、マーケティング的な「説明力」って、かなり高確率でシステマチックになる可能性があるなぁと感じています。

例えば、a.b.c.dの施策のうち、効果が良かったのがdなので抽象化するとd'という特徴があるので、その特性を活かしてd"という施策うちましょ、みたいなケース。

人間の最大公約数的なラベリングの上に成り立つ上記のやりとりはつまりロジックが通っていて、ということはつまりシステムに組み込める、というのが頭から離れないのです。

一方で、全く理解できない(けど効果的なことがある)施策や思想って、システム化できないんですが、これは逆に説明力がなくて実行まで至らないケースが多い。

ここで重視されるのって提唱者の過去の実績だったり、社内での信頼残高だったりする。
でもそこに最適化すると結果的に説明力が高い考え方になる、という矛盾。

要するに、説明力は死ぬんだけど、その屍の上に立っているのは説明力を行使してきた人々の可能性が高いから厄介なんですよね。

じゃあ、どうするのか。
もうね、デファクトスタンダードしかないです。
説明力を使ってリソースとか予算とかをもらうという環境から抜ける。
そしてやり切る。その上で結果を出す。

非常にクルーエルでレイシャルですが、これ以外ない、というのが最近の気づきです。

はにを。

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