見出し画像

人との時間を楽しむため、私が考えたコツのようなもの

誰かと会ってお喋りをした後の家路。
「あー、やっと帰れる」という思いが、疲れと共に心に浮かぶことがある。

それはなにも、苦手な人と仕方なく会った後だけではない。
悲しいことに、何日も前から楽しみにしていた、久しぶりに会う友人とのお喋りの後であったとしても起こってしまう。

せっかく約束をして人と会うのに、つまらなさを感じたくはない。どうせなら、かねてからの楽しみな気持ちどおりに、いや欲を言えばそれ以上に、楽しい!と感じたい。

会わなければ良かったかなぁ・・・と少し後悔する度に、私はそう思う自分を自覚していった。

そんな中、最近私は、楽しむために大切なコツのようなものを思いついた。

それは、「自分がその時本当に聞きたいことを聞き、話したいことを話す」ことだ。

とてもシンプル。
だけど、すごく難しい、と私は思う。

思い返せば、友人と話している時、過度に気を遣ってしまうことがあった。
まず、聞くことに関して。
「今日の服装、いつもとまた違った雰囲気でかわいい。だけど、もう触れるタイミング過ぎちゃったかも。。。」
のような何気ないこともあれば、

就職活動の話をしていて、
「ん?Aちゃん(相手の子)が志望業界をここに変えた理由がよく分からないな。でも、ここで深掘りすると傷つけてしまうかもしれないし。。。」
などといった、話の中で抱いた違和感についてのこともあった。

また、自分の話すことに関しても。
「私が行きたかったミュージシャンのライブ、延期になってショックなんだよね。だけど、Aちゃんはそのミュージシャンにはあんまり興味ないしな。。。」
のように、相手の反応を先回りして想像し、大して盛り上がらないだろうと思ったことは深く話さないことがあった。

気遣いとも、相手の領域に一歩踏み込むことへの恐れとも言える選択が積み重なった日。そんな日の帰り道は、決まってつまらなさを抱えていた気がする。

自分の本当に聞きたいこと、話したいことに素直になるのは怖い。それに、相手の気持ちや興味に敏感であることは、相手へのまっとうな気遣いになることも多いと思う。もちろん、全ては関係性に寄る。

けれども、せっかく会ったのに、気を遣いすぎて楽しめなかったのでは、やっぱり淋しい。
だから私は、大切にしたい関係性の人と話す時は特に、踏み込むことを怖がる気持ちを抑えて、自分の好奇心や伝えたい欲求に正直になってみたい。

そのことで、ドキドキしながらも、あぁ楽しかった、と思える瞬間が、少しでも増えるといいなと思う。