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山下清展を見に行ったらなんだか少し切なくなった

山下清展を見に行って来ました。

損保ジャパン美術館の企画展は、今お世話になっている損保ジャパンの営業さんからチケットをいただいては必ず見に行ってるのです。今回もいつものノリで行ったらまぁびっくり、平日の午前中に行ったにも関わらず300人くらい並んでいた。並んでいる人達が入場まで最大2時間待ちみたいだと話していた。なんだこれは。これは上野でやってたムンク展より並んでいるのではないか。何故だ。いつもならスッと入れるのに。これではじっくり絵を楽しめないではない。来て早々後悔した。
正直、帰ろうかとも思ったけど、せっかくここまで来たから並んで見ようと思って並ぶことにした。そんなことを考えながらKindleを読んで行列に並んでいたら、私の後ろに並んだおばさま達も同じように「せっかくここまで来たんだし」と話していた。

この集客は「山下清」の知名度とレアリティなんだろうな。並んでる間に思った。
山下清の名前はある程度より上の年代の人はみんなが知っている。芦屋雁之助演じる「裸の大将」は定期的にドラマで放映されていた。ドラマ主題歌の「野に咲く花のように」は今や音楽の教科書にも載っている。ドラマの前は映画だった。映画が娯楽の中心だった時代に。そして、こんなにも有名な作家の作品がまとまった形で見られることもそうそうない。そんな人の生誕100年の回顧展となると見に来たくもなるよな、と。

展示会場には思っていたより早く入ることができた。天気が悪かったからかだろうか。晴れていたら2時間待ちなくらいの長い長い行列ができていたのかもしれない。

展示は子供の頃のスケッチから始まっていた。スケッチというと聞こえは良いが、いわゆる、子供が画用紙に書いた虫の絵である。そんな絵にたくさんの人が行列を作って見ていることろから違和感を感じてしまった。

放浪の時期の作品、放浪をやめてから油絵に挑戦した作品、日本の景色、東京オリンピックのスケッチ、ヨーロッパに行って作った作品、遺作となった東海道53次まで、ほぼ制作順に並んでいた。しかし、回顧展にしてはなんだか物足りなかった。例えるなら、国立美術館でモネを見ているような感覚だった(国立美術館は戦争を挟んでしまったが故に、良いモネの絵を手に入れられなかった)。なぜか「良い作品はもっとあるはず」と思ってしまう。これは実際に遺した作品が少なかったのかもしれないし、スケッチブックに描いたものまで切り取って額装されていた違和感からかもしれない。
作品の劣化も激しかった。身の回りにある折り紙や糊、サインペンを使ってい制作していたのだから仕方がない。油絵や陶芸に挑戦した作品もあったが「らしさ」はあまり感じられなかった。ついでに言うならヨーロッパ旅行の際の絵も作家の心が感じられなかった。それぞれの景色への愛情のようなものが。
全体的に、作家本人が作りたくて作ったものよりも、巨匠になってから周囲から依頼されて無理して作った感がヒシヒシと伝わる作品の割合が多く、作品の劣化とも相まって、見ててだんだん辛くなってきた。

そんな中でも人混みを縫うようにして「らしさ」を感じられる作品の近くに行って、当時の作品はどれくらい鮮やかであったろうかや、作家自身がこの景色をどう捉えていたのかを想像するのはなかなかに面白かった。完璧に記憶された風景が身近な素材で再構築され、曇りのない画家の視点で平面に再現される。画材や絵筆ではなく、作家の指先で作り上げられた世界。そこには常に澄んだ空気とそこに生きる人達や草花、太陽や山がその場に織り上げて来た躍動感と光がある。これが山下清が愛した日本の景色なんだろう。

時々、絵画作品の価値がわからなくなることがあるのだが、この展示を見ている途中でもわからなくなった。
作品の良さはもちろん大事だ。他にも、作家の名前が知られていること、作家に魅力を感じてもらえることも大事なんだろう。そしてさらに画壇や美術館みたいな何か大きなものに支持されていることも加わるのだろう。この存在が、一般的なマーケティング理論とは違うところだ。なんと奥ゆかしい世界なんだろうか。
山下清は本人の意図にかかわらず、そういう後ろ盾の存在があって、作家の名前が知られ、強い魅力を放って一大センセーションになったのだと思う。作家が生きているうちに映画「裸の大将」が放映されていた。人と違った感性を持ち、放浪というクセのあるエピソードを持った作家の美術作品は画期的だっただろう。当時を取り巻く熱量と、作品全体に共通する純粋さにギャップを感じずにはいられなかった。

今となっては「裸の大将」も、もう放映していない。いわゆる「ハンディキャップ」と言われるものをもった人達の絵も美しい作品も珍しくなくなってきた。裸の大将世代の人達が亡くなったら、山下清の市場価値はどう変わるんだろうか。作品自体もこれからどんどん劣化が進んでいくだろう。次に見た時はもっと切なくなってしまうかもしれない。
でもそれくらいが、本人が望んだ程度の知名度なのかもしれない。本当は、あの躍動感を感じる景色をいつまでも探索し続けたかったんじゃないか、そんなことを考えていた。

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