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石川真生『私に何ができるか』@東京オペラシティ アートギャラリー

20歳代だろうか?陸上自衛隊の若い小柄な女性が、ライフル銃を不釣り合いに持って近づいてくる。マスクから見える目元は涼しげな可愛い感じがする。年齢的には私の孫でも不思議ではない。なんでそんなことをしているの?と問いたくなる。そこそこ重いであろう銃を抱え、引き金に指をかけて、教えられた通りの動作をして、教えられたとおりの言葉で、境界線を越えて入って来る私を規制しようとする。まだ、恋の愛憎も、人生の苦楽も知らないだろう貴女は、暴力に脅え立ち向かったことも、生死の境を彷徨ったこともない貴方は、なぜ人を殺める武器を手に、大声を出し訓練をするのか?

115「銃を持つ女性自衛隊員」、展覧会ハンドアウトより

展覧会にいくと、作家が現役でも、作品が死んでいる、と直感的に思うことがある。なぜそう感じたか考えてみても、予定調和、自己模倣、キュレーションの悪さ・・・ざっくりとした理由しか思い浮かばなかったが、石川真生の「私に何ができるか」を見て、ひとつの答えを見つけた気がする。

この展覧会で、わたしが長らく滞在したのは、石川が2014年から毎年作り続けている『大琉球写真絵巻』のパート8~10の展示室だ。この作品は、彼女が「興味をもった人」だけが登場する、「庶民の歴史」の記録だという。最初のシリーズであるパート1(2014)は、薩摩藩の琉球侵略から現代まで、琉球国がたどった歴史を語る、絵巻のかたちをした創作写真だった。ハンドアウトによると、創作をつづけるうちに、石川が写真にとりたい個人と出会うようになり、彼らに自分を演じてもらうようになったという。

被写体に演出を任せているので、構図や美的な表現方法(aesthetic)はバラバラだ。プラカードをもった団体写真もあれば、小道具をつかって米軍との関係をイラストレートするような写真もあるし、警察や自衛隊とのやりとりをとらえた写真も入っている。創作と現実が、1秒ごとにスイッチバックするような絵巻は、緊張と緩和の連続だ。

ハンドアウトには、写真一枚一枚に対して、被写体の名前、年齢、かれらの主張や活動内容が記されている。字数を統一せず、被写体が書いた文章もあれば、インタビューの抜粋、石川本人のことばもあり、口語と文語を行き来するキャプションは、作品解説というより、むしろそれ自体が、さまざまな声のコラージュで、ひとつの読み物になっている。大文字の歴史の記述者であり、ハイカルチャーのゲートキーパーである美術館が準備するハンドアウトのお作法なんか、知ったこっちゃない、といった感じだ。

石川の態度は、炎上を未然に防ぎ、配慮を誇示するような、今日のメディアの態度とは真逆だ。Z世代は、「男はつらいよ」を見て、感情的なやりとりが多すぎて怖いと感じるという話を聞いたことがあるが、それが本当だとしたら、わたしですらジェネレーションギャップを感じる石川のスタンスは、理解しがたいかもしれない。しかし、明確なスタンスを示すことで、作家としての責任を担保しているともいえる。とくに写真は、撮影者が透明な第三者になりがちなメディアだとおもうが、常に中立でいるなんて、芸術家としても、人間としても、ありえない。

ただ、石川は感情にまかせて表現しているわけではない。むしろ、現代アートのお手本というくらい、冷静でコンセプチュアルなディレクションをしている。

絵巻というフォーマットは、撮影地の宮古島、石垣島、与那国島、ひいては沖縄という空間を展示室内に作る。一つ一つを額に入れて展示するのではなく、つなげることで、ひとつの「土地」を作り出す。しかし、映像のような完璧な連続性はないため、個々のイメージの間に小さな断絶、非接続を許すことで、個としての被写体を守っている。

また、縦ではなく横辺が大きいため、鑑賞者はぐるりと歩かなければならない。そうさせることで、鑑賞者が『大琉球写真絵巻』の中に何を見るのか、視点の自由を確保しているうえに、外に出かけて行って出会うという石川の制作過程を追体験させる。『絵画の歴史』のなかで、デイビット・ホックニーとマーティン・ゲイフォードが、西洋絵画は鑑賞者の視点を固定するが、アジアの絵巻は視点が動いていく、といっている。絵巻のフォーマットは、固定された視点で語られる、大文字の歴史へのアンチテーゼであり、また石川が語る「庶民の歴史」の未分化で不均質なありようを、守るものにもなっている。

実際に絵巻にそって歩いたり立ち止まったりを繰り返していると、米軍基地反対を訴える強い言葉がならんだプラカードを掲げながら、ふと隣の人と笑いあっている老人の顔や、「沖縄名産」をつくる農家の若者の神妙な顔に出会う。かれらが、本当のところなにを思っているのか、分からない。「基地問題に揺れる沖縄」みたいなキャプション付きの報道写真には見えてこない、被写体に潜む分からなさ。分からなさは、恐怖を生む。しかし石川は、相手に潜む正体不明のなにかに向かって、一歩踏み出す。あらゆるレベルの緊張感が、絵巻のなかにぐるぐると渦巻いている。湿った生暖かい風がここにも吹いてくるようだった。

展示会場を出て新宿まで歩いた。電話で仕事の話をするサラリーマンや外国人観光客に紛れ、歩く速度を調整しながら、ふと思った。作品が死ぬ時というのは、作家が自分の徒歩圏内から遠く離れた、広く客観的な視点で作品を作り始めたときなんだろう、と。誰かの問題を誰かの言葉で代弁し、想像のなかで創作をはじめたとき、作家は第三者になり、作品はなにも語らなくなる。石川の作品のリアリティは、他者を撮り、その言葉を使いながら、「私に何ができるか?」と自分の声を探しているから、生まれるのだ。

新宿駅につくと、街頭演説の声が聞こえてきた。沖縄の人のイントネーションだ。ついさっきまでみていた『大琉球写真絵巻』がフラッシュバックした。スマホで調べると、その日は、新石垣空港に陸上自衛隊のオスプレイが着陸して、沖縄の空を初めて飛んだ日だった。その間も、わたしは、頭の中に浮かぶ石川の写真を見ていた。たぶん、これから沖縄のことを考えるときに、真っ先に浮かぶのが『大琉球写真絵巻』なのだろう。私に何ができるか?すべては私次第だ。


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