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『フェイクスピア』観劇の後遺症(ネタバレ)

7月25日の大千穐楽から2週間あまり。
未だにあの余韻から抜け出せないでいる。

画面越しに憧れ続けた、高橋一生。
彼は確かに存在し、すぐ目の前で息をし、汗を流し、涙を浮かべ、笑っていた。
あの声が耳から離れず、空気の振動が細胞を揺らし続けている。

観劇以後、映像でみる彼の姿がいままで以上に生々しく、その声が重く響いて苦しい。
もうこれまでのように、ただのファンとして気軽に鑑賞出来なくなってしまった。

これまでにも何度も、様々な舞台を観てきた。
生の芝居とは言え、客席とステージにはやはり大きな隔たりがあり、大きなスクリーンを見ているような感覚だった。
もちろんどの舞台もそれぞれに感動し、刺激を受けてきた。
だが、長い自粛期間からの渇望も手伝ってか、
『フェイクスピア』で見た初めての高橋一生は別格だった。

第一声。「ずしーん」
劇場中に深く響く声。叫ぶでもなく、怒鳴るでもなく、それなのに太く、重く届く。

空から舞い落ちる一枚のコトノハを片手で受け止め、指先で1回、2回、折り畳み、匣にしまう。
その美しい所作。

終盤「ウー、ウー、プルアップ」
無機質な繰り返し。なのになぜ涙が出るのだろう。

この3つの場面が、何度も何度も思い出される。
家事や子供の世話に追われながらも、ふとした瞬間にトリップしてしまう。
ハッと我に返ると、目の前には日常。その繰り返し。

きっといつまでも咀嚼することは出来ない。
理解したなんて言ってはいけない。
せめてこの日を胸に抱き、亡き母を想う。
そんな8月12日。

彼はいま、何を思い、どう過ごしているのだろう。


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