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『フェイクスピア』大千穐楽に寄せて

NODA-MAPの新作舞台『フェイクスピア 』全62公演が終わった。東京から大阪へと続く2ヶ月の興行。
私はこの舞台で初めて、同じ演目を複数回観劇した。初日、3日目、そして大千穐楽。この奇跡的な日程で作品を体験する中で湧き上がった思いを、記しておきたい。

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ただただ圧倒されるばかりの初日から明けて3日目。2度目の観劇中にふと頭をよぎった、「なぜこの人たちは、舞台に出るんだ?」という疑問。
それは、伊原剛さん演じる三日坊主の序盤のシーンを見ている時だった。

セットや小道具、照明等の技術を駆使した映像の世界で大活躍の役者さん達が、なぜ何もない板の上で、身体一つで、汗を流して何十回も演じるのか。ともすれば仮装とも言える、テレビでは決して着ないような衣装を身に纏い、舞台に立つのか。そんなことを考えていた。

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演劇にも数々の仕掛けや照明、衣装、音響などが不可欠であることはもちろん承知している。
どちらが上とか下とか、苦しいとか楽だとか言いたいのでは決してない。
ただ、自らの身体を投げ出し、やり直しの効かない生の舞台。稽古から本番までにかかる時間も、体力も、想像を絶する。

特に今作はその真のテーマも重く、相当な覚悟が必要だったに違いない。
野田秀樹さんは、そしてこの役者達は、こんなにも神経をすり減らしてまで私たちに何を伝えたいのか。
情けないことに私はまだ、はっきりとその答えを言葉には出来ない。
しかし、観劇前にはもう戻れない私たちは、その宿題を胸に、この先の人生を生きていく。

そんな重い荷物を背負わされたのと同時に、大千穐楽のカーテンコールでは晴れやかな笑顔を見せつけられた。
安堵した顔、労う微笑みと涙。そして客席へ向けて大きく振られた両手。
「この日のために頑張ってきた」なんてことは彼らは言わないだろう。でも、あの顔を見られてよかった。
そうだ、楽しいんだ!大好きなんだ!

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おそらく初見の観客が多かったであろう初日の、舞台に吸い込まれるような集中力。そして最終日の、一つ一つのシーンを噛み締めるかのような空気。
客席の私たちも、この舞台を完成させる一員であったと思いたい。2021年というこの日は特に、その場にいることの叶わなかった多くの人の思いもまた、この舞台の一部なのだ。

だから舞台は無くならない。
なくてはならない。
なくしてはならない。
















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