SAKE Diproma 教本のまとめ3

SAKE Dipuroma教本を重要度の高いものをまとめました。

16P~17P参照

太古から終戦まで

弥生時代には米の酒が造られていた。

魏志」東夷伝に「倭の国の酒」「播磨国風土記」に「清酒(すみざけ)」の記事がある。

奈良時代後半、国家組織に造酒司(さけのつかさ)が設けられる。

平安時代には、寺院や神社、民間でも酒造りが行われるようになった。

室町時代には、本格的な酒屋が現れた。

16世紀後半、「火入れ」という加熱殺菌が行われるようになる。ルイ・パスツールが殺菌の概念を発見する300年早く行われていた。

江戸時代には酸敗を防ぐ方法としてアルコール添加(当時は醸造アルコールの代わりに柱焼酎とよばれる焼酎を添加)の技術が使われるようになった。

明治から大正時代まで、精米技術は水車や横型精米機に頼っており、微生物の知識も不十分であった。当時は酒質も安定しておらず腐造(醪が腐ること)が珍しくなかった。

大正時代末期から米の統制1940年昭和15年)年頃までは、飲酒人口増大の影響もあり、甘い濃い日本酒が造ら飲用された。

1933年昭和8年)に縦型精米機が現れる。

戦後から、1970年代初頭の日本酒ブームまで

戦後、資源不足により三倍増醸法(三増酒)が普及した。2006年に廃止される。

1994年昭和20)の173千klの最低移出数から1973年昭和48)には最高の1766千klを達する。

東京オリンピック開催を経て、1960年代後半から1970年代初頭(昭和40年代)には史上空前の日本酒ブームが訪れた。

1973年昭和48年)のピークを境に減少する。

1980年度昭和55年)には2947者2014年度平成26年)には1634者となる。

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