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はのんよ、土星と和解せよ。

副題:かつて土星だった母へ

占星術を好きになってからだいぶ経つけれど、母とのシナストリーは正直見たくなかった。母の死の数年後、ほんの3年ほど前にようやくシナストリーチャートを出すところまでこぎつけたけど、わたしのASCに彼女の土星が乗っているのを見た瞬間「ダメだ見れないムリ」と、アプリをそっ閉じした。

これは、そんなわたしのリベンジの記録だ。


母が東北某所で生まれた日は月食だった。

ざっと母のネイタルチャートを見てみる。

深みのある、凄みのある生き方。
願ったことは、何に代えても叶える人生を送りたいし、これと定めたものに対しては誰よりも深く追求したい。専門家と呼ばれたい。
それを、石にかじりついてでもとことん突き詰めて成し遂げたい。そうしなければ生きていけないという切迫。意地とプライドを懸けたリベンジ。

質の良いものがわかる肌感覚。いいもの大好き。趣味がいい。
本当は怠けたいしおっとりしてたい。慣れ親しんだライフスタイルは変えたくない。思い込んだが百年目の人。この人を説得するのはホント大変。

仕事と私生活のどっちも全力。なんだかんだで、あくまで世俗的にわかりやすいリッチで良い生活が欲しかったのでは。
結婚相手とはいろいろとどうにもならないギャップがありそうだ。

ここまででまとめる。
誰に言われようとも生き方も感覚も変えない人。挫折や恨みをパワーにして、豊かさと深みを追い求める人。
母は、そういう人生の大枠を持った人だった。

これは、自分ひとりで消費するにはありあまるパワーでしょう。

次に、わたしのチャートを内側にして、母のネイタルチャートと重ねて出してみた。平常心をやや失いながら。

母とわたしのシナストリーチャート

わたしのASC-DSC軸に対し、母のノード土星太陽(太陽のみサイン違い)が乗っている。
ノード軸の関与は「私が産みました」ということだろう。この世へのゲートを彼女が開いてくれた。まさにまさに。

そして、土星と太陽の絡み。とくれば、冥王星も当然ついてくる。
耳を澄ますと聞こえてくる気がするのだ。
あなたがこの生を全うするため、私は全霊をもってあなたを躾ける。私の娘として生まれたからには、あなたを逃がさない、と。
いや、柔らかく表現してごまかすのはやめよう。聞こえてくる「気がする」どころの話ではなかった。わたしはそれを骨身に染みて「知っていった」んだよ。

わたしはありあまる母のエネルギーの注ぎ先であり、思うがままに剪定したい作品だったのかもしれない。「私の無念は娘のお前が晴らせ」とばかりに。

ASCはなんといっても全てが始まるポイントだ。
一説には、魂はASCを通って身体に入ってくるのだとか。
無形が有形に転換するポイントだ。

転じて、何であれ物事が始まる・始めるという事象に関して、母の土星が付きまとってくるということになる。
そうしつけられている。

頭に重たいものがいつも乗った状態では、フットワーク軽く(土星サイドから見ると、自分勝手にというやつだ)あれこれ試したりできるわけない。

まあ本当にそれはその通りで、でも、母の想定する枠の中の行動には力を尽くしてくれた母ではあったんだ。


わたしのネイタルチャートに話を戻します。
個人天体はすべて(太陽・月・水星・金星)が土星とアスペクトをつくっている。
ちなみに、月・太陽・土星でTスクエアでもある。
これだけですでに土星だらけなのだ。

自分のチャートの土星のことだけでもうお腹いっぱいなのに、何でアセンに土星を乗っけてきやがりましたかねぇうちの母は。
もう食べられないってリタイヤしようとしてるのに、黙々と器に蕎麦を入れてくるわんこ蕎麦の係の人のようだ。
そしてわたしのネイタルチャートは柔軟サインがとてもとても強い。アングルこそすべて活動サインではあるが、活動サインに入っている天体はひとつもない。普通に考えてめちゃくちゃ押しに弱い。
だから「蕎麦はもういらない」って言ってお箸を置けなかった。「本当は蕎麦じゃなくてハンバーガー食べたい。ゲプ」とか思ってふてくされながらも。

で、実際はお互いをどう思っていたんだろうか、ということで母とわたしの個人天体同士のアスペクトを見てみると。
いや本当に穏やかなものである。気が合う感じなのだ。
それに、母の土星もわたしの個人天体に対してはまったくチクチクしてこないのだ。
どゆことこれ?と戸惑ってしまうほどに意外にも。


最後に、ひとつ示唆的なことを書いて終わる。
母は、今年生きていたとしたらウラリタ(天王星回帰)が来ていたはずだった。
その天王星は、わたしのネイタルの1H木星にガチな合。
そして…そのごく近くでトランシットの木星と天王星がそろそろ合になる時がくる。

わたしのネイタルの1H木星は、自分ではなかなか意識しづらいように思う。自分の顔を自分の肉眼で見ることができないのと同じ感じ。
しかもこの木星は、わたしの個人天体とは一切アスペクトをとっていないのだ。
土星に比べて、意識化が進んでいなかったかもしれない。つまり弱かった。相対的に土星が強すぎたとも言える。

木星はやはり土星と対になる天体だと思っている。どっちか片方が強すぎないようなバランスが大事なのだ。
硬くなりすぎれば新陳代謝ができず、柔らかく膨らみすぎれば個を維持できないから。

しかし、そんな木星に対してここ数年トランシット天王星が「起きろ!」と働きかけている。
木星天王星の合は、きっとそのダメ押し。最後にして最大のチャンスなのだ。

そんなタイミングで、やっと母について書けた。
肩の荷が降りた。
これできっと次へ行ける。


長い文章を読んでいただいて、本当にありがとうございました。

2024.02.29 はのん

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