卒業を意識したときに、1番最初に浮かんだ人

 こんにちは。昨日、SLAM DUNKの映画の新情報が出ましたね。以前に出ていた、赤いリストバンドをした右手と何もつけてない左手のイラストを父が掘り返して、「右手に赤いリストバンドって、誰だったんだろう結局」と言いました。母「流川は左手の肘の方に黒いやつだもんね。」父「そう、リョータも黒だし」 本当のオタクを見たような気がしました。

 はのとです。初めまして。


 大学4年生の夏になってしまいました。この間までは春って言っていたのに、もう7月だし、さすがに夏。困りましたね。いい加減、卒業式の袴を予約しないといけなくなりました。

 先月も1回見たんですけど、大学で予約すると高くて、なんか地元で見た方が安くね? ってなり、その場で決められず。でも、どんな感じの袴がいいか、というのはイメージできました。

 予約会7月の部がそろそろ始まるので、予約するならここで決めてしまわないとっていう感じですね。いいやつはやっぱり先にとられてしまうので。好きな柄を選ぶなら今しかないわけです。

 そんな話をしていると、母が、「まあ、はのとに大金使うのもこれで最後だからね。別に高いやつでも全然いいんだよ。」と。その言葉を聞いて、急に寂しくなってしまいました。


 私は、引くほど家族が好きです。何をするにも、基準は家族。家族が喜んでくれるように、そういう価値基準で生きてきました。それはきっと、両親が愛情いっぱいに、大切に私を育てて来てくれたからだと思います。

 だからこそ、私は家族という形に安心感を抱いているし、結婚に憧れを持っているし、両親みたいな夫婦になりたいと思っている。ちょっときつい? やばい?

 大学受験のときも、私は挑戦校の1校のみを受験するというあまりにもあほな選択をしたのですが、それでも合格にこぎつけたのは、両親に喜んでほしかったからです。私のことを誰よりも応援してくれたのは、誰よりも味方でいてくれたのは、いつだって両親だったので。


 だから、最後って言われて、なんだか寂しくなってしまいました。これで、私は名実ともに大人になっていく。別に、家を出るわけではないし、下手したら来年も別の大学で学生をするかもしれないので、完全な自立とは程遠いかもしれません。でも、大学卒業っていうのは、大きな区切り目。

 卒業式は、私にとって、学生として最後の式典。最後の門出。最後の晴れ舞台。そんな晴れ舞台で着る袴を、1番に見せたいのは、両親です。両親や、祖母。家族に見せたい。同期でも後輩でも先生でもなくて、家族。

 もし大学で予約したら、卒業式に出席できない両親に袴姿を見せることはできません。大学で着て、卒業式に出て、大学で脱いで返却するからです。でも、地元で予約すれば、そこまでは両親の送迎がついているので、両親に袴姿を見せることができます。

 せっかく大金を出してもらうのだから、両親に絶対に見てほしいんです。それができないのであれば、極端に言えばもう最安値のやつを選びます。

 だから、もし大学で予約するのであれば、卒業式に出られなくても大学まで来てほしい。これは私のわがままです。どう考えても。でも、母は来たそうでした。父は仕事の都合で難しそうでしたが。


 来てくれるなら来てほしい。でも、それを想像したら、それだけで少し涙が滲んできてしまった。だめなんです。私、すぐ泣くんで。まじで、泣きすぎて、私の涙に基本的に価値はない。

 両親が大学に来てくれて、袴姿を見せられたとします。まずそこで私は泣く。「い”ま”ま”で”あ”り”が”と”う”」で泣く。母もあほなのですぐ泣く。父だけが、何してんだかという感じで立っている。そんな様子が簡単に浮かびます。うけます。

 まだどこで予約するかは決められていないけど、どちらにせよ、やっぱり両親には見てほしいですね。見せたいです。


 両親は、いつでも私の味方でした。私が困っていると、すぐに気づいて話す時間を設けてくれました。どんなに忙しくても、私に時間を割いてくれました。今だってそう。いつだってそう。子どもを最優先してくれる人たちでした。

 その上、私の意志を最優先してくれる。私の進路や将来に関して、こうしなさいとか、こうした方がいいとか、言ったことはありません。もちろん迷っていたら助言はしてくれますが、強制はされない。それどころか、あまりにも挑戦校だった大学受験のときは、「別に今年に合格する必要はないんだから、気楽にやりな。」と、追い込まれまくった私に声を掛けてくれました。

 両親は、頑張らなくていい、といつも言ってくれます。それが、私の救いでした。頑張って辛い思いをするくらいなら、無理に頑張らなくていい。やれる範囲で、自分が自分でいられる範囲でやればいい。そう言っていてくれました。

 そう言われて育ったはずなのに、私は妥協ができない完璧主義者になってしまったのですが、手を抜くのが苦手な私に、母はいつも、「休んじゃえば?」「休んでコストコ行こうよ」なんて言ってくれちゃうのです。そう言われても休むことは結構難しいんだけど、その言葉だけで救われる。ありがとうってなる。そんでたまには行く、コストコ。


 いつだって私の中心にいた両親から、自立することができるのでしょうか。これはちょっと困った話題ではあるのですが、それはそれ、これはこれ。私は早く結婚して子どもを産みたいので、遅かれ早かれ自立せざるを得なくなります。

 そこの分別はできているはずなので、でもまあ、頭では理解していても感情論で言うとちょっと難しいみたいなとこはありますね。でもまあ、大丈夫でしょう。将来の自分に期待。

 両親への莫大なる感謝を抱きながら、残りの学生生活を楽しんでいこうと思います。今まで忙しくてできなかったことにたくさんチャレンジしたい。社会が変わってできなくなってしまったあれこれも、たくさんやってみたい。あとあれ、終電逃すとか、そういうのやりたい。いい子だから、いつも帰れちゃうんですよね。


 自立することが最大の親孝行? 立派な大人になる? なるかーー!!!頑張るぞーーーーー!!!


  あ、明日のジャンプ、マッシュルの重大発表だ。アニメ化かな? アニメ化だよな? 母あほだからアニメ化期待してマッシュくんの全巻セット買ったからな? アニメ化頼むぞ。

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