深読みオタクのサクラミツツキ

 おはようございます。熱いですね。昨日は30度を超えた地域もあったみたいで、本当困ります。冬よりは夏がいいけど、だからと言って夏が好きなわけじゃないですからね。贅沢に秋が一番好きですからね。

 はのとです。初めまして。

※銀魂のネタバレを含みます。配慮はしてますがさすがに含みます。

 今日はね、久しぶりに自己満100%の記事を書いてやろうと思います。自分だけが満足しちゃってごめんなさいね、って感じの記事です。もしこの記事を楽しく読んで下さる方がいらっしゃるなら、そんなあなたはもう私ですね。冗談ですごめんなさい。

 「サクラミツツキ」

 SPYAIRというバンドの楽曲です。もう、この曲名の時点でエモが隠しきれていない感じしません?します。断言します。だって、いや、これ、桜、満つ月、じゃないですか。いや、そうなんですよ、造語なんですって。桜と月の造語。

 どうやったらこんな曲名が生み出せるんでしょう。どうなってるんでしょう、思考の中身を覗きたい。

 曲名の通り、歌詞の中に桜や月という言葉が出てきます。何度も。でね、やっぱり1番しびれたのはサビです。サビの歌詞が、私の心を刃物より鋭い何かで貫きました。貫かれた私は、骨抜きになってしばらく何も考えられなくなりました。

 ちょっと、歌詞の転載とか著作権的に大丈夫じゃない気がしてるので、出典ちゃんと載せますね。大学で書くレポートの気持ちで行きます。もはやこれは論文です。

 じゃあ始めますか。頭から適宜引用して語っていきましょう。

 あ、大前提に、この曲はアニメ銀魂のOPとして書き下ろされた楽曲です。とは言え、意識はしているものの完全に銀魂に寄せた訳ではないようです。自分たちの現実世界のことを話している。その一端に、銀魂の世界が感じられるような、そんな楽曲。そして私は、今から思考を銀魂に全振りします。


『足早な 人の波 ただ見つめてさ ずっと待っていたんだ』(l4)

 物語の舞台は歌舞伎町。たまに吉原桃源郷。そしてたまに宇宙。人の波が見えるのはどこでしょうか。一体、誰が誰を待っているのでしょう。
 私の答えは、主人公坂田銀時が、歌舞伎町を行き交う多種多様な目的を持った人々の流れを見ながら、誰かを待っています。足早、というのは、物理的に早いというのもあるのでしょう。でも私は、それぞれがそれぞれの歩みで生きているというイメージが歌舞伎町にはあります。そんな多様な生き方が、銀時にとっては足早に見えたのでしょう。

 過去に大きな重荷を背負い、抱えるものをすべて捨ててしまった銀時。ですが、いつの間にか、この歌舞伎町で大切なものが重たくなってきてしまっていることに気が付きつつあるのです。自分はこの大切なものを守れるのか。また取りこぼしてしまうのではないか。そんな不安定な感情が、それぞれの目的に向かって行く歌舞伎町の人々を、足早に見せたのでしょう。

 そんな銀時が待っている対象は、どうしても私には1種類に絞ることができませんでした。1つは、師やかつての友の帰り。帰りというのは、かつての関係ごともとに戻るという帰りです。もう1つは、今の仲間たち、万事屋の新八、神楽、定春の帰りです。このときの帰りは、単なる帰宅であると同時に、帰ってこなかったらどうしようという銀時の不安な気持ちも表れていると思います。

 うわ、既にきつい。銀ちゃんの不安定な心情がきつい。ここを通って、永遠に続く万事屋になっていくんですね。永遠に続くってのは私の妄想ですけどね。永遠なれですからね。ゴリラ原作者もそう思ってるってことでいいですよね駄目ですか。

『思い出すんだ 君の顔を』(l7)

 ほら、誰を思い出してるの?ここだけだと、かつての師や仲間を思っていると考えるのが自然かもしれませんが、次の歌詞と繋げるとまた変わってきます。

『平気なの? 大丈夫さ。 ふざけて手を振る僕』(l8)
『あの日、君と 交わした約束』(l9)

 平気なの?そう聞くのは、きっと新八や神楽です。また銀ちゃんがどこかに行ってしまうのではないか。このまま僕たちを置いて行ってしまうのでしまうのではないか。やっぱり私たちでは銀ちゃんの役に立てないのではないか。そんな彼らの不安が、痛いほど伝わる。

 それに対して、間髪入れず大丈夫と答える銀時。彼は、どんなときもそういいます。大丈夫。そう言って笑って、子どもたちの頭をなでるのです。切ねえ、、、切ねえよ坂田銀時、、ふざけて振った手は、彼女たちにはどう映ったのでしょう。

 そう考えると、やっぱり思い出したのは、2種類の解釈ができてしまいますね。次の、約束の相手だってそう。師との「松下村塾を、仲間たちを守る。」という約束と、子どもたちとの「絶対に帰ってくる。もう一人で抱え込まない。」という約束。どちらも優しい約束。優しいからこそ、守るのも簡単ではない約束。

 平気なの?と聞いたのは、松陽先生かもしれませんね。それに対して笑いかける銀時。安心して行ってくれ。そんな強がりが表れているのかも。切ねえ、、どちらにせよ切ねえよ、、、

ちょっとサビの前半は飛ばしますね。最後にしましょう。


『孤独を 分け合う事ができたなら もう一度 誓うよ』(l13,14)

 約束を、もう一度。あのときのあの約束を、もう一度。守るものの大きさ、大切さは、銀時が一度孤独に追い込まれた経験がそれを実感させているのかもしれません。
 でも、本当の優しさは、孤独を分け合えること。孤独は人を強くするかもしれません。でも、その強さを一人で抱え込むのは、強いことではない。共有することで、人は強くなれる。そんな気がします。あのときは取りこぼしてしまったけれど、今度は一緒に抱えてくれるか。そんな、銀時から子どもたちへの、心底にある願いを表しているのではないかと思います。切ねえ、、

『ささやかな笑顔 些細な言い合いも どれだけ僕を 強くさせただろう』(l18,19)

 あ~だめだ、考えれば考えるほど、全部が2種類の解釈になってしまう。いや、それでいいのか?というかむしろ、彼にとって過去の仲間も現在の仲間も同等の大切さっていうことを表しているのか、なんかそんな気がしてきました。洛陽決戦篇のとき、高杉を筆頭に、桂や辰馬が、今の仲間を守れ的なことを言ってましたよね。そういうことか…いや、この歌がOPのときはまだそんなとこまで話進んでなかったですけどね、結局こうやって繋がる。さすがに、深読みしただけありますね。

 笑顔も言い合いも、銀時にとっては過去でも現在でも該当すると思うんです。松陽先生に促されて、松陽の弟子たちはよく笑っていました。攘夷戦争のさなかも、彼らはよく笑っていました。そして、言い合いもたくさん。それこそ、本当に些細な言い合いばっかり。それは、いつになっても変わりませんね。国を、宇宙を巻き込んでの言い合いですから。

 万事屋でだって、毎日のように言い合いは絶えません。ふざける銀時神楽に、それを叱る新八。でも、結局最後は笑っているんです。優しい銀時の笑顔に、新八と神楽が安心して笑う。そんな関係。どことなく、彼の過去を思い出させます。

『移り変わる街並み』(l25)

 長い年月が経ちました。松陽先生と共に歩んだ数年の時。先生を取り戻すために歩んださらに数年の時。孤独と戦いながら過ごした10年の日々。そして、新しい仲間と過ごした2年の日々。全ての始まりから、何年が経ったのでしょうか。

 彼の中で、時間はきっとあの時で止まっているのでしょう。その止まった時間を動かしたのが、新八神楽定春を始めとする、歌舞伎町のバラガキたち。みんなまとめてバラガキ。彼らのおかげで、彼の止まっていた時間が動き始めたのかも知れません。そして、その時気が付きます。時間は確実に動いていたんだって。

 歌舞伎町は何も変わりません。いつまでも同じ顔で、みんなの帰りを待っています。でも、そこを生きる人々の心情は変わっていきます。変わったのは街並みではありません。彼ら自身の心なんです。はあ、、

『キミはいまどこで 何をしてるの?』(l26)

 ああ、、、、、、これはもう、、、松陽先生、、、、、そして高杉のことも含まれているのでしょうね、、、、どこで何をしているのか。気になっているのは、そこではありません。そこでそうするに至った経緯はなんなのか。自分にそれを変えることはできなかったのか。そんな心情が、どうしても、感じ取れてしまう。だって、どこで何をしているのかは知ってるじゃないですか。それでも、どうしてそうなったのか、それは本人にしかわからない。松陽先生も、高杉も。ああ、、大切な人たち、、、

『まだ追いかけてる』(l28)

 あの人の大きな背中は、きっと彼にとってはずっと大きいままで。どんなに走っても追いつけなくて、どんなに叫んでも待ってはくれなくて。その背中に背負われた日々は、彼にとってかけがえのない宝物。でも、背負われていた彼には、やっぱりその背中は大きすぎました。あの人が抱えていたものの大きさも、彼は知っていた。切なすぎるよ、、

 そして、いつの間にか心の中に居座っていた新八神楽定春。どこかで言っていましたが、背負っていたつもりが、いつの間にか背負われていた。彼にとって守らなくてはならない存在だった子どもたちが、いつの間にか、一緒に戦う友になっていた、ということだと私は思います。でも、子どもたちはそうは思っていないでしょうね。だって彼らは最初から、銀さんを助けたいっていう気持ちで側にいたんですから。

 銀時は、大きな大きな松陽先生を背負うことができませんでした。それは、彼の心にずっと残る後悔なのかもしれません。文句の一つも、ありがとうも言えなかった。そんな後悔を、無意識に抱えていたっておかしくない。

 でもね、最後。彼が背負えなかった大きな大きな師は、彼の弟子である新八が背負ってしまうのです。銀さんの代わりに、僕が。そんな温かい感情。大きな師を背負い、共に走り、守る。銀時が来るまで、絶対に守り抜く。師から弟子へ、そのまた弟子へと、繋がっていったのです。先生が、それを繋げたんです。ああ、、、泣きそう、、、、次まだ授業あるのに泣きそう、、、

 では最後、もったいぶっていたサビにいきましょう。なんやかんやで飛ばした2サビの後半も拾いましょう。

『僕らは あの欠けた月の 半分を探して』(l30,31)

 ここまで読んで下さった猛者なら、もう私の思考は筒抜けでしょう。いいですか、ここで言う欠けた月の、探している方の半分は、松陽先生です。輝いて見えている方の半分が、虚です。虚の陰に隠れた松陽先生を、彼は知らず内に探していた。そして、見つけた。

 何度も言いますが、この歌が使われていた頃は、まだそこまで話進んでないです。つまり、全部私の妄想です。

 欠けた月の半分、っていうこの表現が本当に素敵すぎて、この歌を聞くたびに何かが刺激されます。欠けた月って、欠けたように見えているだけで、実際はもう半分も存在してるじゃないですか。そういうことです。虚が見せたほんの少しの微笑みである吉田松陽。あのときいなくなってしまったはずのその人ですが、きっと虚の中のどこかにいると、そう思っていたのでしょう。

 だからこそ、彼は赤子を殺せなかった。そこに、松陽の影を見てしまったから。

 さて、僕ら。この僕らって、誰なんでしょう。松陽の弟子たち?万事屋?いえ、これは、この物語に登場するそれぞれのキャラクターに当てはめられるのではないでしょうか。

 例えば万事屋の二人の子どもたち。二人が知っている坂田銀時は、現在の坂田銀時。重たく抱える過去の坂田銀時を、彼女たちは知りません。その半分を、戦いの中で探していくのです。

『あれから あの欠けた月の 半分を探して』(l34.35)

 いつから?あれからです。あれから。そう、あのとき。すべての終わりとも、始まりとも言えるあのとき。松陽の弟子たちが別の方向に歩み始めたあのとき。

『いつかは サクラの花咲く 満月の元へと』(l36,37)

 集大成。満月というのは、銀時にとっての松陽先生の抱えるすべて。万事屋の二人にとっての、坂田銀時のすべて。銀時は、松陽先生にもう一度会って、あのときできなかったことをしたい、そんな風に思っていたのかも知れません。そして万事屋の二人は、いつかは必ず、銀ちゃんの抱えるすべてのものを、一緒に抱えたい、そんな風に願っているのだと思います。

 すべての優しさが、温かい絆が、この物語のすべてです。

 では、サクラってなんでしょう。サクラの花咲く。このサクラという言葉、実は1Aにも出てきます。

『サクラ ひらいても まだ寒い夜には』(l6)

 サクラ、は、満月を飾るものを指しているのではないでしょうか。サクラだけでも、満月だけでもダメ。過去だけでも、未来だけでもダメ、すべてを抱きしめて、やっと叶うんです。

 松陽先生だけじゃだめ。その周りに、高杉、桂、そしてその後に出会った辰馬、新八、神楽、定春。みんなの想いが揃って、ようやく銀時は本当の意味で笑えるのです。本当の意味で、解放されるのです。安心できるのです。抱え込んでいたものを、孤独を、分け合うことができるのです。

 万事屋の二人にとってもそう。銀さんのすべてを知るだけじゃダメなんです。松陽先生との重たい過去も、攘夷戦争時代の仲間との確執も、そしてそれらをすべて一人で抱えている坂田銀時という人間のすべてを、まるごと抱え込みたい。そうすることで初めて、彼らは胸を張ることができるのです。

 そういった意味では、最後に松陽先生と始まりの4人の内の銀時以外が一緒に走っていた場面。やっぱり色々な感情が錯綜してぐっちゃぐちゃの感情を抱え込みながら号泣するしかありません。いつか、坂田銀時を生み出した人に会いたかった。そう言った新八は1巻とは全く違う、大人になった、眼差しが真っすぐになった、背中の大きい新八でした。


 そんな感じで一曲深読みしてみましたが、やっぱり一筋縄ではいかないですね。人それぞれ、感じることも考えることも違うと思います。SPYAIRが込めた思い、聴いた人が感じた思い。違って当然です。だからと言って私のように深読みするとろくなことがありませんが、とにかくこの歌はとっても素敵な楽曲。「欠けた月の半分」って、どういう人生を歩んだらそんな綺麗な表現が浮かぶのでしょうか。何度も言いますけどね。言葉選びが素敵。

 文句は受け付けませんが、色んな人の感じ方を聞いてみたいですね。語り合いたい。語ってほしい。そういう需要と供給ありませんか?


Uta-Netより、『サクラミツツキ』(歌詞)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?