部外者として迎える初めての学祭。恋人の勇姿をいざ。

 こんにちは。この間、職場の先輩とテイクアウトがてらドライブをしました。10分程度ですけど。普段職場ではきりっとされている29歳の女性の先輩だったんですけど、すごいラフな会話をしてくださって楽しかったし嬉しかった。わーいわい。おしゃれで可愛いそんな先輩みたいになりたい。

 はのとです。初めまして。


 私の記事、恋人のことか大学時代のことか職場のことかしか書くことがないんですけど、なんか生活に彩りがないのがバレてしまいますね。いろんなこと書ければ充実感出るんでしょうけど、別に他に書きたいこともないし、政治も宗教もどうでもいいし強い思想とかもないので、当たり障りのないものになる。別にい自分がそれで満足だから幾分も問題はないんだけど。

 文化の日、近いですね。とか書いてたら今日になっちゃった。小学校のころはこの日に文化祭みたいなのがありました。楽しかったな。どんぐりとか拾ってゲームを作ったりしていた。今思うと、あの頃のほうが発想力が豊かだったかも。中学生のころはこの時期に合唱祭があって、お弁当を注文するのが好きだったな。高校のころはただの祝日だった。文化祭は終わっていたので。

 そして大学生になり、この時期は学祭まっしぐらという時期になりました。2年生のころはコロナでなかったけど、1,3,4年ではしっかり開催された学祭。後半は制限あったけど、それも昨年度はだいぶ緩和されて。


 ということで、もうすぐ母校の学祭があります。例年金土が本番で日曜が片付けなんだけど、今年はなぜか土日で本番。金土なら、いい感じにフィナーレを見てから飲みに行く図ができたんだけど、さすがに社会人1年目。日曜に飲んで月曜に休みを使うことはできない。普通に今休みとれない。

 昨年度までは当事者として、所属する軽音楽部の中でライブを行っていた私。そして今年からは、後輩のライブを見に行く、という建前の元で同窓会を行うために行く私。時の流れを感じる。

 それでも、やっぱり寂しいけどね。私もその輪の中に入って、みんなでわいわいライブをし、フィナーレで涙を大流したい。今年は部外者なんだから、泣いてはいけない。でもきっと、私は泣く。


 なぜなら、恋人が今年4年生だから。最後の学祭で、元部長として後輩にメッセージを残し、3年生から2年生への代替わりのサポートをしつつ、後輩からの大感謝と大拍手に包まれる。私が昨年度経験したあれを、そっくりそのまま一身に受ける。

 恋人の苦労は、1番近くではなくとも、元幹部としてすごく近くで見てきました。部長として、コロナのせいで自分は一切経験していないイベントを成功させなくてはならない。その重圧重責を考えると、それだけで涙が出てしまいそうです。

 部活が大好きで、音楽が大好きで、部員が大好きで、同期が大好きな恋人。まっすぐな気持ちでずっと部活に参加してきて、辛いことも苦しいことも全部全部受け入れて、その都度落ち込みながらも前向きに頑張ってきた恋人。そのすべてを知ることはなくとも、近くで見てきた私には多くのことが分かってしまう。

 そんな恋人がこの最後の学祭に懸ける想いって、いったいどれだけのものなんだろう。私には推し量れない。きっと、私が昨年抱えていたそれよりも大きいんだろうな。分からないけど、私の強い想いなんてちっぽけに思えてしまうほど、今の恋人は熱いものを持っている。素敵だね。一生懸命になれること、本気になれること、これって本当に素敵。

 別に学祭で引退でも卒業でもないし、冬のライブと卒業式間近にやるライブがまだ残っているけど、それでもどうしても特別感のある学祭。4年生バンドがあって、エモいMCがあって、4年生から3年生に向けて1年間幹部お疲れ様、という労いのもとでさらに次の代へと引き継がれていく。


 私が1年生のとき、偉大だった4年生の圧倒的なライブで、私は大号泣をかましました。大したかかわりもない4年生。せいぜい顔と名前が一致する程度の関係。それでも、2年生3年生の先輩が4年生に対して向ける視線や流す涙で、私は4年生の偉大さを知りました。具体的には分からないけど、とにかくすごい存在なんだって、知りました。

 演奏やパフォーマンスの話ではないです。人望の話。こんなにたくさんの後輩たちに慕われる先輩たちって、いったいどんな人たちなんだろう。どんなにかっこいい生き方をしているんだろう。どんな4年間を過ごしたんだろう。私もこんな風になれるかな。そんな風に思ったのが、2019年の秋でした。

 それから3年経った2022年の秋。あのころ見えていた4年生とは全然違う、ちっぽけな私。後輩たちに何か残すことができたのだろうか、私がいる4年生バンドは後輩たちに何か届けることができるのだろうか、そんな不安を抱えながら、正直めちゃくちゃビビりながらステージに上がって、ギターを弾く。

 そしたら、目の前で見ていてくれた後輩たちが、私の不安をすべて吹き飛ばしてくれるような表情をしていて。それを見た瞬間、こっちが感動してしまって、それをごまかすかのように後ろを、ドラムの方を見ながら演奏していました。


 そんなことを思い出していた。


 それを今度は、恋人が。代のリーダーとしてあの場に立つんだ。何の曲をやるかは聞いていない。教えないで、楽しみにしているから。それがもう、目の前に迫っている。もうあれから1年経つのか、早いなという気持ち。そして、もう恋人が最上級生なんだ、ということを再認識させられます。


 恋人は、とても弱い。でも、その弱さもまるごと恋人で、私の大切な姿でさ。人に弱さを見せない恋人が見せてくれるの、私に。辛いこと、苦しいこと、理不尽なこと、負けそうなこと、弱った声で、私にだけは話してくれる。私はそれが、とっても嬉しいのよ。

 付き合う前、1年とちょっと前。学祭のころはもう付き合っていたな。その前の9月の合宿のときも付き合っていたから、夏休み中とかその前くらいか。付き合う前の恋人は、私に弱音なんて言ってくれなかった。私が心配するといつでも「大丈夫です!」と90点の笑顔で返してくれる。残り10点は、無理している減点です。

 誰に対してもそうで、人に一線を引いている。そんな風に私は感じていました。本人にその自覚はないようだけど。それでも、付き合うようになってからはいろいろな話をしてくれるようになりました。嬉しい。特別、っていう言葉に、人間はすべからく弱いのです。


 そんな弱い、繊細な恋人。でも、誰からも愛されて慕われる恋人。私なんかが浴びた喝采よりも大きな大きなそれを浴びて、どんな気持ちになるのかな。報われたって思うかな。幸せを感じるかな。分からないけど、何かしらのポジティブな気持ちを抱いて、精一杯幸せに笑ってほしいと思います。

    そんな恋人を見て、私は泣かない。絶対に泣いちゃうと思うけど、卒業生という部外者及び後方彼女面の私が泣くとかね。変だからね。変に目立つからね。


    たった1年間の、全く違う世界での生活。社会人の私と、大学生の恋人。しんどいだるいの社会に出た私にとって、自分も通ってきた自由の権化である大学生という身分はとっても羨ましい。羨ましいけど、そう言ってしまうとあまりにもダサいので内緒にする。

    内緒にするから悪いんだけど、正直しんどいこともある。私が新生活で苦しんでいる中、楽しい学生生活を送る恋人が、あまりに眩しくて羨ましくて。でも、学生最後の1年間って、本当に本当に楽しいことばかりなのは知ってるから、心底謳歌してほしいの。

    だから内緒にする。しんどいことも、来年度になってから打ち明けよう。きみが社会人になれば、また同じ立場での生活が始まる。全く同じとは言えないけど、それでも似たような悩みを抱えた似たようなことを経験したりするんだろうなって思います。その生活は、きっと長く続くから。

    だから今は、高みの見物としましょう。恋人が同期たちと楽しそうにライブをしている姿が見られるのは、きっとこれが最後だから。しっかりと目に焼き付けたおこう。ギターを弾く姿はもちろん、同期に囲まれて楽しそうに笑っている姿を見るのが大好きなのです。自分に見せるのとはまた違う笑顔が、たまらなく好きなのです。


    なんて楽しみなのに、なんで私は今日休日出勤していたんだろうな。無賃で。

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