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水を得た恥見

 「20代で得た知見」を、とリクエストをいただいた。僕のエターナルエイジは17才であるが、少しまとめてみよう。でも、知見なんて恐れ多くてやってらんないから、恥ずかしい意見=恥見をつらつら並べていくことにする。

①絵が描けないなら、ぬり絵しようよ

 勇気や気概がないのならば、とりあえず何もしない方がいいと思っていた。サークルの飲み会のルールを遵守し、コールや泥酔もしなかった。付き合っていない女の子は必ず終電までに帰した。でもそれは、亡霊みたいに存在感が希薄になるだけの悪手であった気がする。端的に言えば、おもしろくない。最低限のTPOはあるにせよ、たとえば大学生は大学生らしく羽目はできるだけ外し、無駄な悪足搔きをし、沢山ケガをした方が絶対メリットがある。白でも黒でも赤でも青でも歴史を自分色に塗った方が見栄えもするだろう。無色透明の歴史なんて空欄と同じである。テストでわからない問題があって、それでも何かしら当てずっぽうで回答を記入した人は正解ないし途中点をもらえる可能性があるのだ。もっと爪痕を残すべきだった。たとえ深爪だとしても。

②ジャガイモの皮をむけ

 小5の頃、クラスにTちゃんという女の子がいた。当時、隣の席の人とは机をくっつけなければいけなかったのに、Tちゃんは頑なに僕のことを拒絶した。「机をくっつけないで、離れて」。でも離すと先生に怒られるという地獄の板挟みだったから数㎜机を離して事なきを得ていた。僕は彼女から表でも裏でも暴言を吐かれ、四六時中、心をド突きまわされていた。そこで僕が講じた対策は彼女を認めることだった。よく見たら目鼻立ちが小ぶりながらも整っている。髪をきつく縛っているけど、もっとフワッとさせたらきっと万人受けする美人だろう。宿題を一度も忘れたことがない。他人にも厳しいけど自分にも厳しい。自分の気持ちを言語化することに長けている…。涙ぐましい努力の結果、僕は彼女を好きになることに成功した。大っ嫌いだったからこそできる荒業だ。

 当時は自己防衛でやっていたこの対策、今になってめちゃくちゃ大事なことだなと思う。

 進学で環境も変わり、すっかりそんなことも忘れてしまった僕は、いつしか他人への興味が薄れていた。緊張した時は「全員ジャガイモだと思え」とはよく言うけど、正直常にみんなジャガイモだったし、なんならジャガイモの方が好きだった。僕のことを名前で呼んでくれる友達がいればそれで良くて、僕のことを褒めてくれる人には良くする。それだけ。だから、なんでもない誰かと飲んだ時やお出かけをした時、その人に興味を持つことがとても難しいと感じた。常識的に考えて順番が違うんだけど、多分必要とされている自分が中心にいて欲しかったんだと思う。ところがどっこい、お前にそんな魅力は無いのだ。誘われたかったら誘え、好かれたかったら好きになれ。それ抜きでうまくいくのは天賦の才能がある一部の人間だけ。後天的にどうにもならないし、歯がゆい思いで口を開けて待ってるだけなら歯医者に行った方がよほど有意義だ。

 やっと他人に興味を持てたら、どこかのタイミングでその人の優れた部分に気づくだろう。その瞬間にスーパーノヴァ級の劣等感や行き場のない怒りを覚えると思う。僕はあった。どうかそこで立ち止まらないで欲しい。僻むだけならジャガイモと見做してたあの頃の方がマシだ。その才能を認めろ。それがそいつの存在価値だ。だから皆主人公でそれぞれに物語があるのだ。一体ジャンプで何を学んだんだ。

③天丼はなるべく控えてください

 これは以前も少し触れたのでサラッと説明するけど、月~金まで学校だったり仕事だったり同じことを繰り返すと惰性で生きてしまいがちだ。だからこそ、無理やり変化をつけることが大切である。僕がXで#今日の寝起き脳内BGMとか#えいが商会とかやっているのは実は自分の為だ。昨日と今日を変えるためにエンタメに触れたり、わざわざ言わなくていいことを言っている。そもそもSNSは病んでいることを報告するのではなく、病まないためのサービスだと考える。だから素敵な数字を叩き出した体温計の画像より、「体温計の裏の文字が小さい」ことを教えてくれるつぶやきの方が好きだ。

④単独ライブは最前で

 どんなに卑下したって、自分に自信がなくたって、死ぬまで僕は僕だ。それなのに苦しみ続けるのはドM過ぎてさすがに引く。となると、せめて自分だけは自分を好きでいるしかないじゃないか。誰も自分の才能に惚れこまないなら自分が惚れこんだらいい。無駄な行動が無駄じゃないことをせめて自分だけは知っていればいい。

 そして何より一番言いたいのは、今日より若い日は二度と来ないということ。だから、飯屋でも遊園地でも自分が写っている写真を撮ろう。一分一秒と僕たちは鮮度が落ちていく。GOMESSも対韻マン戦で言ってた。「今この瞬間にしかないぞ 即興の内容 今後はないと 何度でも言うが 今韻マン」。二度と会えない自分を残さないなんて勿体なすぎる。未来の僕に申し訳ない。いわば人生という生配信、その切り抜きをリアルタイムで行う行為だ。僕らの一番のファンは紛れもない僕らだ。けっして裏切らない純度の高い強ファンであろう。

⑤総括

こんなんで大丈夫そ?

 どうせお気持ち表明アレルギーな皆さんから、少し距離を置かれるのが目に見えている。うるさいな、変に尖ってんじゃないよ。noteってそういう人たちの温床なんだから、寧ろ優等生なんですけど。

 最近、周りでnoteをやっている人が増えてとても嬉しい。「え、こいつ彼女の前だとこんな感じなの?」みたいな気まずさと新しさがある。僕はこれを遺書代わりにやっていて、サムネ?も毎回遺影にしているけど、そこまでじゃなくても誰かの心のやわらかいところがワンクリックで見れるのはお得としか言いようがない。誰かの考えに影響や刺激を受けて、その若干不確かな生き方を試してみる、まるで治験みたいじゃない?

2023年11月23日昼 自室にて ジャガイモの天ぷらが食べたくなりました、秋。

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