血液型傾向について

    血液型による性格占いに、科学的根拠はないらしい。
 しかし、私の拙い人生経験と狭すぎる人間関係の中では、科学的根拠に反するような其々の傾向が、実は見え隠れする。
 人に因ってものの見方も見え方も違う為、私の主観と社会的評価が合致するとは決して言えないが、此処ではあくまでその主観から導き出した血液型傾向について記したい。
 唯、これを読んで怒り出す人もいるかも知れないので、前以て言い訳しておこう。
 私は誰に喧嘩を売っているのでもないし、これから誰かと揉めるつもりもない。あくまで過去、自分が出会ってきた人のことを前提に評するのであって、それがこれから出会わんとする人々に当て嵌まると信じているのでもない。重ねて言えば、これは今までの私に与えられた其々の印象であり、世間一般のすべての人々に当て嵌まるものではない。それらを踏まえ、心を広く持って読んで頂ければ幸いである。
 
 一般的にA型とは、真面目で几帳面だという。我が両親は共にA型で、O型の私は幼少の頃より、特に母から「O型は大雑把やけど、A型は神経質!」と、まるでA型がO型に比べて高尚であるかのように言われ続けて育った。
 実際、A型は真面目である。日本人の血液型ランキングNO.1という現実も手伝って、いかにも日本人的なのがA型だ。
 しかし必ずしも几帳面だとは言えない。あくまで私の見解であるが、先ず、一番身近なA型である両親を見ていると、いずれも片付けというものがからっきし駄目である。
 母は毎日、仕事に出かける必要があっても、上から下まで家中の掃除をしてから出勤することを欠かさないほど、綺麗好きな人間であるが、埃に敏感でも、机の上は物が散乱し、何が何処に在るのか見分けがつかないほど目茶苦茶である。本人は多忙を言い訳にしているが、時間を見つけて片付けに取り掛かっても、整理状態がキープされるのはせいぜい一日二日で、三日目にはどうしてそうなるのか、元の木阿弥である。
 一方、父は物を溜め込み、捨てられない人である。遥か昔からゴミ屋敷(本人はゴミだと思っていない)の住人で、新婚時代は綺麗好きの母をノイローゼにさせたという実績の持ち主だ。
 以前私が勤めていた職場でも、「これ、何かに使えるかも…」と言って、空き箱などを溜め込んでは、そのまま忘れるというA型がいたが、この手のタイプはある程度年配の人に多い傾向があり、日本の心である〝勿体ない〟という気持ちが作用しているようにも思われる。
 勝手知ったるA型の知人・友人にリサーチしたところ、A型は確かに綺麗好きだが、自分の気になるところが綺麗であれば、他がどうであろうと気にならず、どうでも良いところは案外ぐちゃぐちゃであるとか…。以前テレビで、タレントの今田耕治さんがモデルハウスのように物も生活感もないマンションに住み、リモコンひとつ決まった位置に無いと気持ちが悪い…というA型几帳面っぷりをアピールした番組を観たが、そこまで潔癖なA型というのに、私は現実で出会ったことは未だ嘗て無い。
 ではA型以外に片付け上手なのはいずれか?もちろん人に因るが、〝大雑把〟と言われるO型が意外とそうであったりする。因みに私は、掃除は滅多にしないが、片付けの虫であり、整理整頓だけが唯一の特技であると言っても良いくらいだ。
 一方で、全く片付けられないのもO型である。テレビで取り上げられる〝片付けられない女〟などはO型であることが多く、私は観ながら不愉快な思いをしたものだが、実際嘗ての同僚などにもその手のO型は多かった。
 例えば、特に境のない共同スペースに、どんどん私物を詰め込んで他人の荷物場にまで侵入し、片付けても片付けても元に戻るというO型の上司がいて、非常に迷惑したことがあった。
 しかしよくよく考えると、私が片付けに目覚めたのも小学校高学年になってからくらいだったように思う。
 私の机の上には、観音開きの硝子扉が付いた本棚が設置されており、そこに本やノートを立てていたのだが、収納しきれなくなっても尚、それらを正面に向けて並べては、無理矢理扉を閉めて収納していた。ある日、そんな状態だったことを忘れて扉を開いた途端、大量の本やノートが一挙に落下!見えなければ良い…と自分を甘やかすことが、後の苦労に繋がることを実感し『これではいかん!』と一念発起したのが、片付けの虫になるきっかけだったように思う。また、我が家の場合は、父のゴミ屋敷問題に因る母のノイローゼ…という家庭環境も大いに影響していたと考えられるため、やはりO型の基礎を築いているのは〝大雑把〟であると言って、嘘はないのかも知れない。
 因みに、B型は基本的に散らかし放題だが、気になり始めると徹底的に片付ける…という人が多い様子。
 AB型は実に謎めいていて、隣の人のデスクがそうであったように、『何故それがそこに…?』というような分別方法で、他の誰にも何が何処に在るか判らないが、本人だけはしっかり分別出来ているつもり…。物が意外と少ないことも手伝って、探し物の苦労も少ないようであった。
 
 私の周辺には、何故かB型がいない。全くというわけではないが、嘗ての恩師に一人と、旧友に一人…。恩師は既に故人であり、旧友とは随分前から疎遠である為、実質〝いない〟と言っても良い具合だ。
 一時期、職場にB型が溢れていたことがあった。その内の一人であったある職員は、「保育士って意外とB型が多いのよ」と言っていたが、唯単に、その職場に限った話だったというだけかも知れない。
 その職場に於けるB型に関して言えば、私の中で評価は完全に二つに分かれた。早い話、仕事が出来る人とそうでない人とによって、相性が二分するのである。出来る人とは必ず自ら動き、指導監督するにしても普段からきちんとその背中を見せている為、説得力がある。一方、そうでない人は口だけの先行型で、人のことは見えても自分が見えていないタイプ。自分より下だと思っている人間に対し、先入観や疑いの眼差しを常備しており、上司として部下に愛されない人が圧倒的であった。
 当時の私は、後者に痛めつけられ、前者に救われる…という経験を日常的にしていた為、B型が必ずしも自分にとって悪い相手だとは思わなかった。確率で言えば正に五分五分で、嘗ての恩師が〝恩師〟と慕えるだけの間柄だったのに対し、旧友に対する苦手意識を克服出来ないまま今日に至ることを思えば、やはり私にとってB型は、〝二分する〟相性だと言っても違いない。そう言ったところで、現在周辺に一人もいないことを思えば、私に限ってB型は、いずれであっても深く付き合い続けられる関係ではないのかも知れなかった。
 一般的にA型とB型は相性が悪いと聞くが、意外や意外…私の知り合いにはA型&B型の夫婦やカップルが多かったりする。きっちり者のA型が、いい加減でマイペースなB型を嫌がるという印象が先行しがちだが、何故かいつもA型がB型を好きだと言うパターンなのだ。
〝隣の芝生は青い〟とか、〝自分にないものを望む〟とか、もしかしたらそういった部分が〝魅力〟という美点として映える典型かも知れない。
 また、家族全員がA型…という家庭は、とても結束が固いイメージだ。私の母が子どもだった頃の家庭や、母の弟家族がそうである。其々別の役割を担っていたり、生活リズムがばらばらであったりもするのだが、結局は皆が同じ方向を向いており、協力体制が整っている。依って、大きないざこざやトラブルで家庭が荒れる印象が殆どないのだ。
 私は基本的に、『A型はA型が一番好きだ』と思っているところがある。言葉を変えれば『A型はA型が一番良い』(言い過ぎれば、一番エライ)と思っていると感じている。故にA型にとってその他の血液型は、全て自分達より〝下〟であり、A型の人間がA型以外の血液型の良さを万が一を褒め千切ったとしても、A型を捨ててその血液型に変わりたい…という次元に達するほどのものではないのである。
 それを思えばB型は謙虚である。世間的に良い印象を持たれにくいB型であるが、B型であることを誇示する人はいない。嫌々告白する人もいるくらいで、かといって内心自らを卑下している人も割と少ない。他からの評価に拘らないところは、B型の良さであり、逆にB型であることが良くてエライと思ってもいないのは、プライドに支配されない性質を兼ねているせいであろう。
 では日本で一番少ないというAB型はどうか…。実は、私の周りには何故かAB型が多い。と言っても、割合で言えばB型を除いてA型・O型とほぼ同率なので、飛び抜けて数が多いとも言えないのだが、私に対する影響力が凄まじい分、インパクトが強い。
 その性質とは、正に〝奇なり〟といった具合で、例えば五人のAB型がいたとして、五人が五人とも別の性質を持っていたりするのである。私の周りには、二人として似通ったAB型はいない。その他の血液型では、其々に共通した特徴が見え隠れし、意気投合の材料に欠くことは少ないのだが、AB型に関しては、皆が皆違うのである。
 AB型のとある友人は、元々自分をA型だと思っていたのだが、出産する際、実はAB型であったことが判明。本気で落ち込んでいた。しかし近年では自分がAB型であることを受け入れ始めている。
 ある時、彼女が面白いことを言った。
「こないだAB型の人ばっかり偶然集まって話しててんけど…AB型って、思考がAとBに切り替わる瞬間がわかるねん」
 何とも宇宙人的発言である。ふたつの血が混じった人達ならではの言葉であり、ある意味、柔軟な人種と言える。時と場合によって、マルチな対応が出来る人間は、頭が柔らかくて賢い。AB型に天才肌が多いというのも納得出来る気がする。
 私は今のところ、AB型に特別悪い印象は持っていない。AB型と聞けば顔をしかめる人々を見て、偏見の恐ろしさに震えが来るほどだ。勿論、特例というのはあって、中にはとてもじゃないが人として受容し兼ねるという人間は居た。但し、それはAB型に限った話ではなく、血液型どうこうという以前の話である。
 私にとってAB型は、A型にとってのB型のようなもので、自分にない引き出しをいっぱい持った、刺激を与えてくれる存在なのである。
 前述したが、私はO型である。しかし周囲からはよくA型と間違えられる。整理整頓好きの几帳面で、どうも初対面者には硬い印象を与えるせいらしいのだが、B型とAB型にも一度ずつ間違えられたことがあり、なかなか本来のO型に結びつかない私とは、他者にとってどんな人間として映っているのか自分でも判らない。私にはO型の利点である〝大らかさ〟が欠如しているのかも知れない。何とも複雑である。
 では、O型の私に対するO型とは如何なるものか…。ここで再び不思議が起こる。私にとってのO型は、年上だと上手くいかないが、年下だと上手くいくのである。ここでも特例はあり、十歳年上のMさんを除けば…と言える。
 唯、O型に関して言えば、意外と単純な裏がある。
 O型とは一般的に、目立ちたがり屋でリーダーシップを取る人が多いと言われる。私はどちらかと言えば、いずれにも該当していないつもりなのだが、私の関わる年上のO型というのは、年上だからなのかも知れないが、必ず私より上に立とうとする。依って、必然的に上からの目線をこちらへ向けることになり、また、指示・指導・命令が当たり前という態度となる。友人のMさんが特例なのは、彼女が私と同じでO型の一般性を兼ね備えておらず、十歳の年の差を思わせない対等の目線で私に接する人だからであると言える。
 一方、年下のO型といえば、常識の範囲内での言葉遣いや態度に於いて年齢差を感じさせることはあっても、基本的にマナー違反や人としての不義理を犯すことが少ない点が挙げられる。また、私自身、年下の人間から、自分を年上として扱われることを好まない為、余程のことがない限り、対等の関係を目指そうとする。身内や友人であれば尚更だ。
 一度、年下のO型の友人が、私の秘密事項を無意識に他者にばらし、あわや絶縁かと思われる事件が起こった。
 人間関係に愛想が尽きた時、私は自ら静かにその人から離れて行くことが多い。しかし、彼女に対し、私はストレートに怒りをぶつけた。信頼を寄せていた相手だったというのも大きかったが、黙って離れて行くには惜しい相手であるというのが主な理由であった。唯、信頼する友人とはいえ、自らの負の感情をぶつけるということは、私にとってギャンブルのようなものである。一方的な怒りによって、相手が離れて行く可能性の方が否定出来ないのだ。結果…彼女は自らの否を認め、私の怒りを受容した。誤解が解けた今も、私達は友人である。
 こうしてみると、血液型に限らず、私の人間関係に於ける相性がどういうものか、何となく目に見えてくる。そもそも私は、自分の上に立とうとする者も下に座ろうとする者も苦手なのである。自らが認めた人間が上であるのなら何とも思わないのだが、力が伴わないのに踏ん反り返っている者に対しては虫唾さえ走る。かといって自分が上に立ちたいとはまるで思わず、叶うなら誰とでも、常に対等でいたいという意識が強い。
 人には其々相性があり、合う人がいればそうでない人も勿論いる。私にとって、四つの血液型にあらゆる特徴はあれど、世の中に特例が満ち充ちているなら、もっと色々な人と友好な関係を結べるだろう。無理に合わせることが必ずしも良いとは思わないが、偏見を捨て、マルチに様々な人と付き合えれば、視野が広がると同時に人としての柔軟性も身に付きそうである。
 私の偏った頭を打破してくれるB型が居るなら、一日も早く出会いたいものだ。

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