干支問題

 占いや迷信を信じない人は多いが、私にとってそれらは、自分の力ではどうにもならない時、気分を変えたり背中を押すような役割を果たす。
 昔は悪いことばかりを信じて、憂いに備えることで自分を守ろうとしていた。しかし、保守的になり過ぎることが必ずしも人生を良い方向へ導くわけではないという現実を知る。予測不可能な事態が連発し、理解が出来ないばかりか、対処の術もないような不幸が降りかかる度、私は狼狽えた。そして気付く。憂いに備えたところで、どうしようもないことが起こる時は起こるのだということに…。
 神様は、乗り越えられない者に試練は与えないと言うが、そんなことはないと思いたい。私は、私には乗り越えられないような試練ばかりが与えられたと思っている。全て乗り越えられたわけでもなく、今まさに直面している試練ですら、この先どうなるのか、どうしたいのかさえ、予想もつかない。    
私は自分の人生に与えられた時間を、いつも無駄にしている気がしている。
 血液型と同じで、干支にも相性がある。少なくとも私はそれを感じている。四柱推命なるものがあり、時に参考にしてみるが、最近は他の占いにしてみても、昔とはほぼ180度気持ちを転換して、良いことだけを信じるようにしている。当たるも八卦、当たらぬも八卦…であるなら、良いところだけを見つめて、少しでも気分良く過ごせる時間を限られた人生の中に敷き詰めていたいからだ。憂いに備えたところで、どうにもならないことがあることを知ったせいだからかも知れないが…。
 それでも時々、良いことに期待をし過ぎて自分の首を絞めることがある。待ち望んだ嬉しい予言を得て、予想に沿った現実が起こらなかった場合、私は激しく落胆する。
 結局、良くても悪くてもあまり信じない方が良いのかも知れないが、未来が明るくなければ誰が明日を生きて行きたいと思うだろう。私は七転八倒しながらも、希望の灯を探す。
 さて、私の干支は、執念深いと言われる蛇であるが、一説によると、理解力があり、辛抱強い性格なのだそうだ。又、巳年の人はお金に恵まれるとも言われ、ビジネスなどで成功する人もいるらしいが、今のところ私はこれに当てはまらない。
 恩を忘れず、助けてくれた人には、恩返しを行う…と言うのは当たっている。理解力と辛抱強さは、自覚と他覚が合致するか否か今ひとつ自信が無いのだが、恨みを決して忘れないのに対し、恩も決して忘れない点を挙げれば、執念深さと恩義に報いる相反姿勢は自意識の範疇である。
 一家に同じ干支が三人居れば繁栄する…といういわれがあるが、現代の核家族である我が家では難しい。
 では、親戚筋を当たってみてはどうだろう。付き合いの近い母方へと幅を広げてみると、いないことはない。一家に三人居るわけではないので、いわれには全く関係なくなるのだが、祖母・母・従妹で寅が三人、父・叔父・弟で未が三人である。見て驚くのは、どう考えても女が男より強そうだという点だ。しかもうちの寅に関しては、曰くつきの五黄(母と従妹)が二人もいる。究極に気が強いらしいが、巳年の娘の方が気は強そうなので、如何ともし難い。唯、一家を回しているという点では、それだけの器量を持ち合わせている事実に頷ける。
 一般的に、〝未年の男は床の間に飾っておけ〟と言われるほど貴重なのだそうだが、うちの家系で床の間に飾っておいて良いのは、ド天然の叔父ぐらいである。父は風来坊であるし、我が弟に関しては、私とぶつかることの方が多いので、あまり擁護するには向かない。
 では身内以外の人間関係はどうだろう。
 面白いことに、これには何故か触るものと全く触らぬものがある。古い友人である辰や巳は、人数だけは多いがその殆どが疎遠である。年上の丑との相性は最悪であるが、年下の丑となると最高である。逆に、未であれば、それは丑と真逆であったりする。子は年下よりも年上が良いし、同性ではあまり相性が良いとは言えない申や酉には、好きな異性が見え隠れする。卯とは縁遠いし、猪とは当たらず障らず。戌に至っては、亡き祖父を除いて、最近やっと一人、友人が出来たところである。
 大分狭い人間関係の中で私は生きているのかも知れないが、今まで出会った中で、少ないわけではないのに絶対合わないのが午である。〝ウマが合わない〟なんていうのはギャグでも何でもない。どうしても合わないと思ったら午であった…ということが過去の事例として目白押しなのだ。
 生きとし生けるすべてのものに相性は付き物であるが、思い込みというのも恐ろしいもので、あまり意識し過ぎると、占いのように自分で自分の首を絞めることにもなり兼ねない。思い込みを覆すだけの勢いを持った、相性ぴったりの午年募集中である。(男女問いません)

 

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