十四日目

 散歩の時間は免れたが、一日空がぐずついていたので布団の干し替えが早くも中断。数日ぶりにがっつりキッチンに立った。犬の基本野菜とおまけ野菜。後者は〝お弁当〟と称している。お陰で生ごみがたんまり出たので、昼前に畑まで持って行った。
 ぐずついてはいるが、母は畑に出ている。持って行こうとしたら案の定、犬が暴れたので、夕方降り出したら散歩も微妙になるから、ちーぐらいしておいてもらおうと共に連れ出したのだった。
 昼食後、ダウンした。午前中走り続けた疲れがどっと出る。動けるようになったからと言って、調子に乗っていてはいけないのかも知れない。しかし動いていなければ、外に出て働いていない罪悪感が襲ってくる。何もしていなくても休んでいられる性格になりたいが、今更遅いのだろうか。親の育て方、時代背景、いずれも私という人間を形成する過程でのびのびと育ててはくれなくてこうなった。そんな風に思わずにはいられない。恨んではいないけれど、そんなことに関係なく自由に生きている人を見ると、やっぱり生き苦しさを無視できなくなる。死ぬときはこんな人生も、〝面白かった〟と思えるくらいになっていたい。
 グリーンティーと、祖母の命日に合わせてお供えで買った抹茶の焼きモンブランを開ける。田舎に、叔父たちのためにお土産にも買った品だ。有名店の通販だが、何だか微妙だった。行きつけのケーキ屋の焼きモンブランの方が何倍も美味しかったから、多分もう二度と買わない。
 真っ暗になってからの散歩は、用足しだけの短距離になった。いよいよ雨の影響を受けた可能性があるが、降っていなかったのに犬が唯、ぼーっと立っていただけだった気もする。暗いところで真っ黒なシュナウザー、エルちゃんに会った。それだけははっきり思い出せる。
 夕方散歩が思いがけず短距離短時間で済んだので、ダウンして開けなかったパソコンを開く。咳、筋肉痛、倦怠感…全てコロナの後遺症に当て嵌まる。腕のだるさや痺れに関し、情報はなかったが、下腹部と太腿の痛みから解放されるや否や登場したそれらこそ、後遺症ではないかと思っている。くしゃみ鼻水は後遺症とは関係なさそうだが、コロナには効かなかった葛根湯が、これまた効かなかった。今月本当に不調だ。いつもは当たらない占いが、今月に限ってばっちり当たっている。体調崩すとしっかり書かれてあったのだ。自虐的に笑うしかない。
 体が弱っていると心まで蝕まれる。求人も全くない。心身共にぼろぼろであることを実感する一日になった。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?