おじいちゃんおばあちゃんがいっぱい

少子高齢化と言われて久しい。
右をみても左をみても、上から下からまんべんなくジジババに囲まれる。

ケイザイ的にはよろしくないけれど、ご近所単位でみると、これはこれでええやん、と思える。

昨日は地区の大掃除だった。息子と一緒に軍手をはめて、ホウキとチリトリ片手に、いざ向かうは裏手の芝生地区。

あらかじめ刈り取られた雑草やら木の枝やらを集めていく。
モコモコのくまさんパーカーを着た7歳児は、みるみる草だらけになっていった。

「あらぁ、今日は手伝ってるの、えらいね」
「かわいいの着ちゃって」
「草がいっぱいつくぞー?」
「軍手すべるどめ付いてるの、かっこいいねぇ」

さまざまな声が秋雨のごとく息子に降り注ぐ。
息子もそれに応えようと、一生懸命ダンゴムシを探していた。
探すよねぇと思いつつ「そこのゴミ袋もってきて!」と指示をだす。

うんしょうんしょと頑張っている姿はさすがに可愛い。
あざといくらい可愛い。

親バカはこれくらいにしといて、話は少子高齢化である。
こどもは他にはいなかった。いつも遊ぶA吉やB太郎などは、ただ家にいるだけのことなんだろうが、まさに子ども1人、ジジババ100人といった様相であった。

なにがいいたいかというと、少子高齢化って言葉、すごく、いかめしいよね。ちょっとこわい。
おじいちゃんおばあちゃんがいっぱい、て言うと楽しげなのに。
ジブリがいっぱい、みたいに、ジババがいっぱいとかになりませんか。なりませんね。

おつかれさま、と二人分いただいたお茶は、おーいお茶の苦いやつでした。

息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。