ハパ

どこにも言えないこと、誰にも共感してもらえないこと、でも大好きなこと。

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マガジン

  • しみじみエッセイ

    半笑いの表情で書いています。

  • ショートショート

    1000文字程度の、短い小説を投稿していきます。

最近の記事

aluというサービスに改めて「よき」と思った話

今日、オフ会をした。 いや、たぶんオフ会ではないのだけれど、お互いをXのアカウント名で呼び合う様子は、確かにオフ会のそれであった。私が店員なら頻繁に隣のテーブルを拭きながら少し耳をそばだてていただろう。 ライター同士の集まりであった。 もり氏さんをはじめ、みっちーさん、あまみんさん、それからたけのこさんとまわる まがりさんというメンバーだ。 つながりの発端はaluというマンガサービスの存在だ。 今は更新されなくなってしまったけれど、私のライター経験のうち、というより、人生

    • 深海と呼吸

      息を吐く。細く、長く。 体内の酸素を使い果たさないように、慎重に。 少しの目眩のあと、じわじわと過去が積み重なるのを感じる。 人のものさしでいうところの、過去。 じっさいには、どこにもないはずの、過去。 記憶を頼りに、思い出の横に線を引く。 「じつに滑稽なり」と。 眼の前がチリチリと点滅する。 狭まっていく視界に、確かに珊瑚が見えた気がした。 ベルトのバックル、ケーブル、床のホコリ。 私の世界が絨毯と鼻先だけになったとき、母が隣で泣いていた。 初めて海に潜ったとき、恐怖

      • 【短編】夜風

        夜風を纏ったあの人は、玄関に入るなりワンピースを脱ぎ捨てて、僕の布団にもぐりこんだ。 知らないその人は、僕に警戒心を抱かせるにはあまりにも無防備で、そして僕は、この状況に頭を巡らせるには酔い過ぎていた。 「どうやってここへ?」 「あとをついてきた」 それからあとはもう寝息しか返ってこず、僕は考えるのをやめ、シャワーを浴びることにした。 朝起きたときには、その人の姿は消えていた。もしかしたらいたのかもしれないし、言葉も交わしたのかもしれない。けれど僕の記憶には、その人は消え

        • 暗がりの中で本を読む

          罪悪感が伴うと、愉しみは一層つよくなる。 そしてそれは深夜に起きることが多い気がする。 ラーメンもプリンも、音楽も映画もタバコも、夜のほうが絶対ウマい。 私は本を読むのも、夜のほうが楽しいように思う。 それも暗がりの中で、少しの明かりを頼りに読むほうが。 目にも悪いし、昨今はスマホで明々と照らされた画面もあるものを、敢えて紙の本で「読みづらいなぁ」と思いながら読むのが好きだ。 ひっそりと隠れるように、ひたすらに行を目で追っていく。 全体として視認できないほど暗い紙面で、

        aluというサービスに改めて「よき」と思った話

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        • しみじみエッセイ
          27本
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        記事

          【エッセイ】死に際に笑う

          今際のときになって、にやりと笑って消える。 そんな死に際に憧れる。ゴールド・D・ロジャーみたいな。 人には誰しも、表立っては言えないようなものがある。 やましさだったり、嫌悪だったり、願望だったり。 多くの共感を生むような言葉には、いつも反論がつきまとう。 そうした反論が怖くて黙ってみたり、勇ましく宣言してみたり、レトリックでごまかしてみたり、あるいは潔白のように振る舞ってみたり、どちらにしろ批判はずっとそこにいる。 けれど死んでしまった人には、そんなものは何も影響しない

          【エッセイ】死に際に笑う

          【エッセイ】忘れる日々の手記

          鼻先にREPLICAをひと吹きする。 十分には液体を含まない管から、やる気なく香りの粒がとんだ。 それぞれが花火の散り際のように机やパジャマや床に降りていく。 香りは記憶を呼び起こすというけれど、とくに何も感じない。 これは私の香り。 いつかDiorのソバージュの香りとすれ違ったら、私は立ち止まって振り返るのだろうか。 かすかに共有した日常の燃え殻には、もう火がつかないことを悟るのだろうか。 時が経って忘れるころには、忘れようとしていたことさえ忘れていく。 まるであの日の

          【エッセイ】忘れる日々の手記

          数的不利育児(遺書です)

          これを読んでいるころには、私はもうこの世にはいないもしれません。もがいて、がんばりましたが、やっぱり私はだめかもしれません。いちおう、がんばったのです。でもどうやら駄目な気がします。 まだ冷静なうちに、書けることを書いておこうと思います。 なぜ息子を愛してるのは私だけなのだろう。 そう思うときがありました。 パパとか、おじいちゃんとか、おばあちゃんとか、もっといろんな人に愛されてもいいはずなのに。 私が愚かなせいで、自分だけでなく息子も孤立させてしまっていないかと思うので

          数的不利育児(遺書です)

          死にたいのうた

          私はしにたい。 なんだかむずかしい言葉を連ねることもできそうだけど、 簡単にいうととにかくしにたい。 「おかあさんがいなくなったら、ひとりになっちゃうよ」 と、7さいの息子はいう。 「そんこといわない。お母さんはいなくならないから大丈夫」 とふんばるけど、私の背を支えるものは私しかいない。 私がいなくなったらと考える。 誰が息子の面倒をみれるだろうか。そんな人はいない。 だから私は死ねないし、死ぬわけにはいかない。 もっと私が強くあれば、息子も楽に暮らしていけたかもしれ

          死にたいのうた

          みんな連休生きているの?

          連休だ。愛知県民なので4連休である。 三連休にして狂いそうだ。いや、狂っている。 息子には何度も怒鳴ったし、何度も泣いたし、何回もハグした。 もし私がもっとちゃんとしていたら、もし私がもっと優しかったら、もし私がもっと普通なら。 いろんなことがまだ未解決なまま、毎日はは容赦なく訪れる。 心にトラウマを抱えたまま、性格に難を抱えたまま、社会を呪ったまま。 できるわけがないのに。私みたいなポンコツに、何もできるわけないのに。 毎日毎日、怒鳴っている。叫んで、狂って、泣いて

          みんな連休生きているの?

          息子が岡田斗司夫さんのYou Tubeを見はじめた

          いつものごとく、7歳になる息子がうたた寝をしはじめた。 昼さがりのこと。 私はそっと、テレビの画面をゲームに切り替えようとする。 「もぉ」

          息子が岡田斗司夫さんのYou Tubeを見はじめた

          沈んでいく船

          逃げ出した家は、例えるなら沈んでいく船だった。 乗り込んだ救助船は今も、海の上を漂っている。 という比喩を思いついたけれど、この例えがしっくりくる。 家を出てから5年が経つ。まだ海岸線はみえていない。 はじめの3年は浜辺で過ごす安寧を夢見てもがいた。 体を壊して、それも諦めるに至る。 わたしたち親子は、どこにいくのだろう。 タイタニックや海の上のピアニストでは、共通して最期の演奏が描かれている。 いま私にできることは、教養や感性といった、自分の中に培えるものを蓄え

          沈んでいく船

          自分の限界がみえてきた

          日進月歩という言葉が好きだ。 きっと明日は今日より何かしら良くなっているはずだし、 悪いことがあってもそれはそれで、何かの糧になるはず。 まず普通にならなければ。それは小さい頃からずっと思っていた感覚だ。日本語を5歳から学び始めた私にとって、「遅れをとっている」という感覚は常につきまとっていた。 生まれてから37年が経つ。ようやっと、普通の生活を送れるようになってきた。 今に満足している。 と同時に絶望感も眼前に迫ってくる。 自分の限界が、なんとなく見えてくる感じ。

          自分の限界がみえてきた

          授業参観と比較のつらさについて

          教室は、とても賑わっていた。 そわそわする息子のうしろ姿がとてもかわいい。 毎日がんばっているのを実感して、たくさん褒めた。 いま、静かに振り返って、ある気持ちと闘っている。 「うちの子がいちばんかわいいな」 まだ夫と連れ添っていたころ、満場一致でそんな結論だった。 今日の教室の賑わいをひとりで眺めながら思う。 あぁそうか。うちにはもう、パパいないんだよね。 自分で選んだ道なので、息子と静かに暮す毎日はとてもたのしい。 そこにムクムクと比較の暗雲がやってくる。 「こ

          授業参観と比較のつらさについて

          おじいちゃんおばあちゃんがいっぱい

          少子高齢化と言われて久しい。 右をみても左をみても、上から下からまんべんなくジジババに囲まれる。 ケイザイ的にはよろしくないけれど、ご近所単位でみると、これはこれでええやん、と思える。 昨日は地区の大掃除だった。息子と一緒に軍手をはめて、ホウキとチリトリ片手に、いざ向かうは裏手の芝生地区。 あらかじめ刈り取られた雑草やら木の枝やらを集めていく。 モコモコのくまさんパーカーを着た7歳児は、みるみる草だらけになっていった。 「あらぁ、今日は手伝ってるの、えらいね」 「かわ

          おじいちゃんおばあちゃんがいっぱい

          DVについての所感

          家を出てから5年が経った。 やっとあの時のことを振り返る気持ちになってきたので、したためておこうと思う。 これは私の個人的な感想なので、こういう人もいるんだな、くらいな気持ちで読んでほしい。 こういう境遇の人は少数だとおもうし、文章にするとなると更に稀になるんじゃなかろうか。さいわい私は文章が好きなので、書くことに何か意義があればいいなと思う。なくても好きで書くけども。 結論からいうと、もし家庭内でつらい思いをしていたら、機関に相談したほうがいい。支援を行っている団体はあ

          DVについての所感

          命にかえても息子は守る。死にたくても。

          連呼する。 自分で選んだ道じゃないか。自分で選んだ道じゃないか。自分で選んだ道じゃないか。じぶんで えらんだ みちじゃないか。 生まれ育った家を出るときは希望に満ちていた。 これから自分の人生を歩めるんだと思った。 ずっとこの人と一緒にいるんだと。 絶対にこの家から逃げなくてはならない。そう決心したのは、息子が2歳のときだろうか。 そのときは覚悟していた。 まずこの家から逃げる。そしてそこで終わりじゃない。 でも先のことを考えても仕方ない。その時を切り抜けるので精一杯だっ

          命にかえても息子は守る。死にたくても。