沈んでいく船

逃げ出した家は、例えるなら沈んでいく船だった。

乗り込んだ救助船は今も、海の上を漂っている。

という比喩を思いついたけれど、この例えがしっくりくる。

家を出てから5年が経つ。まだ海岸線はみえていない。
はじめの3年は浜辺で過ごす安寧を夢見てもがいた。

体を壊して、それも諦めるに至る。
わたしたち親子は、どこにいくのだろう。

タイタニックや海の上のピアニストでは、共通して最期の演奏が描かれている。

いま私にできることは、教養や感性といった、自分の中に培えるものを蓄えることだけだ。それはひどく貧困とも、ひどく豊かともいえる。

どうか息子だけでも、いつか浜辺で戯れる未来が待っていれば、と願う。
一時は私も一緒にと欲があったけれど、もういまはなくなって、それから気持ちは楽になった。

私がすることは、決まっている。

きっと誰も私達をあざ笑いなんてしないし、同時に関心ももたないだろう。孤独だからこそ自分で自分を救う方法を学んでいる、ともいえる。

もしかしたら、いつか息子を救うことも叶わない未来も考える。
でもきっと大丈夫、わたしたちには、感受性や教養があるから。

息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。