自分の限界がみえてきた

日進月歩という言葉が好きだ。
きっと明日は今日より何かしら良くなっているはずだし、
悪いことがあってもそれはそれで、何かの糧になるはず。

まず普通にならなければ。それは小さい頃からずっと思っていた感覚だ。日本語を5歳から学び始めた私にとって、「遅れをとっている」という感覚は常につきまとっていた。

生まれてから37年が経つ。ようやっと、普通の生活を送れるようになってきた。
今に満足している。

と同時に絶望感も眼前に迫ってくる。

自分の限界が、なんとなく見えてくる感じ。

きっと自分の人生はこのくらいなのだろうな、という感覚が分かる。

やりたいことは全部やってきた人生だったと思う。
そのためなら学校も家庭も平気で捨ててきたし、自分の感覚にしか正直ではない人生だった。ある意味誇れるし、と同時に人にはオススメできなくもある。

「あなたって、ほんとにすぐ切り捨てるよね」
そう言われたことがある。
自分でも不思議なのだけど、感覚として不必要なものはすぐに見切りをつける癖がある。
その究極が自分を切り捨てる、という希死観念に繋がっている気がしなくもないが、それはまた別の話。

いま私にとっては、息子の成長が第一だ。
それがあれば他には何も要らないな、と思える。

ひとつ煩悩があるとすれば、スプラトゥーンにハマりすぎてはいるが。

もし仮に、私がしたいことをこれからはじめようとするなら、きっと人生の時間が足りないから、道半ばで終わることが前提となってくる。私が何かを成し遂げることはもうないだろう。

息子は7歳である。とても希望に満ちているし、と同時に今の社会(人類?)の行き着く先の限界もなんとなく感じているので、どうしたもんかとも思う。

息子が大人になるとき、スプラトゥーンの画質はどうなっているのだろう。すごいことになっちゃうと思う。

まとまり、無!笑

息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。