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人は変わらない

今仕事の繁忙期で毎日帰りが22:00近くなっている。朝も7:30とかに出ていって昼だってそんなに休憩取らずに働いている。

転職を決意した2年前も業界的に19:00退社を命じられていたが「19:00退社で数字が行かないのはうちの都合だよな?」と異例の発言に振り回され、21:00近くまで働いていた。わたしよりも何十年も社会人経験のある他の営業以外の部署の上司達が「お先に失礼ね」と帰っていく姿を横目に、なぜ自分はこんな想いをしなくてはならないのかと何千回も悩み苦しんだ。
その他にセクハラやモラハラなどありとあらゆる経験に経験を重ねて転職した。

転職して今、セクハラがないかと言われたら前の職場よりも酷いセクハラに遭った。
前の職場よりも働きやすいかと言われたら男性ばかりで同い年が居なくて何一つ楽しくない。
前の職場よりも暇かと言われたら、毎日分からない対応に追われとんでもない。
それでも働けてる理由は何かというと「人は変わらない」ことに腹が括れたからだと思う。
人に諦められたし、自分という人間のことも受け入れられたから。
多分、セクハラに遭って黙って濁すことだってできる。でも人は変わらないでずっとやり続けることを分かったから告発もした。
男性ばかりで嫌なこともセクハラを盾に言い続けてる。変わらないけど、この部分は上司の力で必ず変えられるところだと何年もの経験でわかる。できないのは怠慢だと思う。わたしが上なら必ず変えてあげられるくらいの力は持ちたい。
暇どころか忙しくなっている現実にも、これはなんかもう自分がそれを選んでいるとも言える。
わたしは暇でぼーっとしている人が見ていて好きではない。何十年働いて、知識も経験も若手に敵わない人もたくさんいる。それはそんな自分を受け入れているからであって他者がどうこう言う権利もない。また、ライフプランによって頑張れる時間、頑張れない時期が個々に必ずあって、甘えさせてくれる組織に甘えるのだって生きていく術としては一つの手なんだと思う。わたしは全部何もかも自分で背負おうとしてしまうし、多分背負って生きてきた。だってそういう自分が大好きだから。何でも頑張って努力して人のために頑張れる自分が多分誇らしくてそれ以外の自分でわたしはいられない。
それは私が選びつづけている選択だった。
気付かなかったけど。そういう意味でようやく自分を受け入れて、人が変わらないことを痛感した。

朝からこんなに思いをぶちまけられるのに会社の報告日誌を入れられていなくて笑えるね。
心ではわたしが報告入れられていない文句を言う暇があるなら、業務量を調整しろよと心で強く思って今日も強く生き続ける。自分を好きでいるために。