見出し画像

無重力の羽


小中高と学校というものにおいて居場所がなかった私にとって、往々にして学校行事というものは苦痛だった。
そんな学校行事の中で唯一と言っていいほど楽しみだったのが「運動会」である。

制服ではなく体操服に身を包む朝。
学校にたどり着くと、運動場に張り巡らされている色とりどりの万国旗。
スピーカーから流れる定番の協奏曲。
体操服姿でどことなく所在なさげな同級生と、走り回っている先生たち。
なんとも非日常でワクワクが躍り出してくる!

ラジオ体操から始まり、玉入れや大玉転がし、そしてハイライトの色別対抗リレーが始まる。
自分で言うが私は足が速かった。小学校の時で確か50mは6~7秒だったと思う。
私が入ったチームは勝つと言われていたし、リレーに出たら男子も女子も全員ごぼう抜きにしてあっという間にトップに躍り出ていた。
リレーも第一走を走り、そのまま戻ってきて今度は第五走を走るというウルトラCも披露していた。つまり花形だった。

そんな(自称)運動会の申し子と言われる私にも、転機が訪れた。
そう、第二次性徴である。
私の第二次性徴は同学年の中でも割と早めで、小学校4年生くらいから始まった。
なんとも赤裸々な話だが、動きに合わせて今度は比喩でなく物理的に胸が躍り出す。
胸も揺れ、お尻も揺れ、体も重くなる(そして今は頬も揺れるようになった)。
走っても走っても、スピードが出ないもどかしさ。
うんていでこうもり振り降りをすることができ、ブランコの支柱で逆上がりをすることができ、二十跳びは40回以上することができていた私の重力を無視できる羽は肉と化してしまった。

こんな思い出されるエピソードがある。
小学5年生くらいの時だったと思うが、運動会だったか体育の授業のリレーかで、私は一度も抜かされたことのなかった一つ上の男子に追い越されたのである。
悔しかった。
その男子が追い上げてきて、私の隣を駆けて行く。
トラックでは追い抜くとき、右側を走るルールがある。
それまでトラックの右側は私の場所だった。
それが初めて、左側になり追い越されていく。
その時の悔しさと失望感と共に、
「ここまでなんだな。これが男女の差というものなんだな」
ということをなんだか冷静に感じたことを覚えている。

ただ、ちょっと神様みたいなことを言うが、これは生きとし生ける者の宿命である。
特に哺乳類に顕著に訪れる変化だ。
犬だって子犬は訳もなく(あるのかもしれない)跳ね回り、人も物も関係なく噛みまくる。
猫だってピョンピョン飛び跳ねじゃれ合う。それを側で見つめているのは、成熟した大人猫である。
昆虫や微生物類になるとよく分からない。
ボウフラは元気なようだけど、幼少期のパワフルさとはなんだか違う感じもする。きっと生きるためにあの動きが必要なのだろう。
とにかく、こどもは元気だ。
こどもの頃はとにかく体を動かすのが面白い。飛び跳ねているだけで腹の底から喜びが溢れてくる。

ただ、大人も捨てたもんじゃない。
大抵こどもにとっては面白さが理解できないものだが、大人には大人に分かる楽しみがある。
例えば山登りである。
山登りが好きなのは多くの場合青年期以降の人だ。
私も両親が山登りをするのが好きだった関係で幼少期から山に登っているが、こどもの頃は山自体というよりむしろ山を駆け上がったり、駆け下りたりするのが楽しかった。
しかし歳を経ると、一歩一歩踏みしめる感じや、鳥たちの声が楽しくなってくる。
(こどもの頃は鳥の声より、むしろ自分の声の方が面白い)
そんな風に、大人になるとわびさびが分かってくる面白さがある。

ところで、今地元の有志で春にスキー場を使っての凧上げ大会を企画しているのだが、先日その凧の試作を上げてみた。
その際に子ども心で駆け回って凧を上げてみたら、案の定見事に足を捻挫してしまった。
大人げなかったな……と反省したりもしたのだが、青い空に凧がフワフワと上がっていくのはなんともワクワクと面白い。
ドローンが増えている中、むしろ凧上げは魔法のようだなと思った。
シャボン玉とか、鬼ごっことか、こども心にしてみるのもいいと思う。
むしろ大人の方が両方の楽しさを味わえてお得なのではないかとすら思えてくる。

季節は春だ。
体もほぐれ、遊ぶのにいい季節になる。
どんどん遊んで、楽しく健康を維持していきたいと思う。

                                            【終わり】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?