はぴみんのずんだ党フードサミット 雑煮編 もっと深掘りトーク②
お餅は神聖な食物
日本では、古来より、お餅には、稲の神様が宿っているとされていました。そのため、お餅を食べると新たな生命力が授けられると信じられ、さまざまな節目の行事やお祝いごとのたびに、お餅が食べられてきました。
特にお正月には、お餅を年神様(としがみさま)にお供えして、稲の神様だけでなく年神様の魂も宿ったお餅を食べることにより、新しい一年の幸福と平安を招こうとしました。
(「大人の常識 日本のしきたり・年中行事」飯倉晴武監修 KADOKAWA ©2016 40ページより)
ちなみに、年神様とは、「各家庭のご先祖様であり、山や田の神様でもあるため、子孫繁栄や豊作をもたらしてくれる新年の神様」だそうです。
(「大人の常識 日本のしきたり・年中行事」飯倉晴武監修 KADOKAWA ©2016 26ページより)
現在も崇拝されている 縄文の神様
哲学者の梅原猛(うめはらたけし)さんは、この山や田の神様は、縄文時代の神様が弥生時代に生き残り、現在の日本人にも神として崇拝されているものではないかと、「縄文時代の世界観」(「縄文人の世界―日本人の原像を求めて」所収)という講演で述べています。その内容を少し詳しく見ていきましょう。
アイヌ文化と縄文時代の死生観
ということで、梅原さんは、あるアイヌのおばあちゃんにお話を聞きに行きます。
「アイヌではすべての人はご先祖さんがまたあの世からこの世に帰って来たと考え」、「縄文時代の世界観は生きとし生けるものとの共存の世界観であり、そして生きとし生けるものがすべて、この世とあの世の間を循環する世界観である」ということと、年神様は「各家庭のご先祖様であり、山や田の神様でもあるため、子孫繁栄や豊作をもたらしてくれる新年の神様」であるという信仰は、とても親和性があるのではないでしょうか。
年を取るとは、自分を全く新しくすること
また、アンチエイジングが推奨されて久しい今の日本社会では、若々しいことが称賛され、年を取ることはあまり歓迎されませんが、お正月に年を取るということが非常に尊ばれた時代もあったようです。
「餅」(大島建彦編 岩崎美術社 ©1989)所収の「餅の宗教性」(野口長義著)というお話は、昭和十四年十二月ニ十六日にAK放送で語られたものですが、「我国の古風」では、年を取るということが、どう捉えられてきたかを詳らかにしています。
年齢を数え年で考えていた時代では、その人が誕生した日ではなく、お正月の元旦にすべての人が年を取り、牛や馬や農具のようなものまでみんな一緒に年を取ったのですね。
そして、「新しい生々とした状態になるというのが年を迎える最も大きい趣旨であった」し、「お雑煮というものは古くはこのように霊の寵ったものを食べて我身を全く新しくするという信仰に発していた」と言います。
しかも、神様にお供えしたお餅をいただくことによって、神様と人が一つになり、さらに、他の人々とも分け合って食べることにより、人と人とのつながりをより深めていったのです。
お正月に、大切な人たちと一緒にお雑煮を食べ、神様の魂が宿ったお餅の力によって、心身を新しい生き生きとしたものにする体験を分かち合うという清らかな精神性が息づいていた時代もあったのですね。
そういったことを尊ぶ風習が薄れてきている近年ですが、改めてその神髄を思い出し、大切にしていきたいと強く思います。
まずは、心身を清々しいものにすることを共に喜び合えるような人との関係を築いていくことから始めようと考えています。