はっぱ🌱

国語専攻。 日々の感情、考えを吐露していく。 読書の感想も書きます。

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最近の記事

人の幸せを願うことができない

私は友達があげるInstagramのストーリーが嫌いだ。それが誰かと楽しそうに外出している様ならなおさら嫌いだ。 その友達が嫌いというわけではない。Instagramのストーリー限定で起こるイライラだ。 たぶんこの馬鹿みたいな鬱憤話を聞いて、 「じゃあインスタやめればいいじゃん、ミュート機能とか知らないの?」なんて言われるかもしれない。 しかし、そういう話ではないのだ。 普通に友達が何してるか気になるに決まってるだろう。そこまで私も他人に興味がないわけではない。でもなんとなく

    • 創作意欲

      創作意欲についての話をする。 人は心が動いた時、表情、言動、行動といった何かしらのアクションで自分の思いを表現しようとする。 私にとっての"それ"は文字に起こすことだ。 今自分が持っている感情を適切に、正確に言語化することが快感でたまらない。だから、自分の感情や思いを適切に表すための材料である言葉が、私は大好きなのだ。 今まで形容できなかった感情、言葉にならなかった思い。それらに名前がついていくだけで、少しだけ呼吸が楽になる。 だから、私の創作意欲は私を救うことに起因している

      • 死への根源的恐怖

        死への根源的恐怖 死への根源的恐怖について。 わたしはなぜ死ぬのが怖いのだろう。 幼稚園の年長、つまり6歳弱の時、わたしは死への恐怖を知った。きっかけは覚えてないし、恐らく何もない。ただ、どこからか、あるいは元から本能として備わっていたのだろうか。 ある日突然、死ぬことが怖くなったのである。 今日、『キャラクター』という映画を見た。少し気になっていた作品で、Amazon primeで無料で見れたので何気なく見始めた。 ある日、殺人現場に遭遇してしまった漫画家が、殺人鬼に

        • 視線

          他人の視線が怖い。 ある一定の人にとってこの言葉は、まさしく耐え難い痛みそのものを表すかのような効果を持つ。 そして、大抵の人間がこの発言に対して「自意識過剰だ」とか「みんな何にも思ってないよ」なんていう言葉を投げかけることも、その一定の人にとってはお決まりのパターンである。 ああ、生きづらいなぁ。 私は辟易とする。例えそれが慰めの言葉であり、事実であるということも、不特定多数の「あなた」に言われる前に私は知っている。 知っているんだよ。 視線、という響きはどうして

        人の幸せを願うことができない

          切り取る

          切り取るという言葉、行為には余計な情報を省くという意味を感じる一方で切り取られる側の無限の広がりも感じられる言葉だと思う。 冬の始まりを感じさせられる11月のとある日、遠征のため、そして己の心配症故に重たくなってしまったスーツケースを持った私は東京に降り立った。 テレビで聞いたことのある地名、どこを見ても高い建物、かき分けなければ進めないほど大勢の人々。 「都会に行った時上を見るのはやめなさい、田舎者だと思われるでしょ。」と幼い頃に母に言われた言葉を思い出す。 その言葉の

          自己肯定感と「死ね」という言葉について

          人に死ねって言えるくらい自分を肯定できる人になりたい。 人に死ねって言えるあの子はなんで自分のことをそこまで正当化できるんだろう。 なんで自分に対してそんなに自信を持っているのだろう。 自分が正しいことに自信を持って生きていきたい。 私はわからない。信じることもできない。 自分のことも相手のことも何もかも。 私にある知識も考えも能力もすべて不確定で不安定でとても自信なんてもてないのに どうしてあなたはまるで自分がすべて正しいと思っているように見えるくらい堂々としているのだろう

          自己肯定感と「死ね」という言葉について