ほかにはなんにもなかった。

当時、わたしの年代のひとは、みんなライブハウスもクラブも行っていたんだと思う。今は娯楽が細分化していて、住み分けされているのかもしれない。
というか、わたしが夜遊びを卒業した後、規制があったこともきっと影響している。

田舎から出てきたての頃に、たまたま知り合いについていったら遊び場が広がっていた。

恐いと想像していた夜遊び場で、ほんとうに怖い思いをしたことがない。(それは運が良かったんだね、と後から言われた)

薬や植物の類にも遭遇したことがない。
ただ、そこは暗くて、普段しまっている自分の一部を、弾けさせても、大丈夫な場所だった。

そういう場所があることに、びっくりしたし、高揚したし、はしゃいでいたのは言うまなでもない。

東京という街に、肯定されたような気がした。

自分は大きな音が好きだと知った。
スピーカーの前で丸くなって眠ることもあった。

おかげで、今も、わたしの右耳はくっつけた腕時計の秒針の音を捉えられない。
それは最近気づいたのだけれど。

わたしが通っていたライブハウスは、主に、高円寺の、火事で焼けてしまって今はない箱。ここに週1はいたと思う。

あと、記憶に鮮明なのは、
ラウドやハードコアの聖地と呼ばれていた、新宿三丁目あたりの箱。(ここはこないだ、友達がおしゃれなインストバンドで出演していた。時代は変わったものだ。)
花園神社の向こうの、ステージ脇にベスパが置いてあった箱。(ここは名前を忘れてしまった。まだあるのだろうか、)

クラブは、週末にはニルヴァーナナイトなんかで盛り上がっていた恵比寿のロック箱。西麻布の、クールなひとで溢れかえっていて、螺旋階段が素敵だった箱。(どっちもとっくにない。)
そして、下北沢の五差路を下ってたどり着く、地下一階の箱。

入り口入ってすぐにバーカウンター。高い高い天井にとどくポールで仕切られたフロアは、ぐるりとカウンタースツールが並び、細くカーブしたランウェイ型のステージが横切り、
DJブースはなんと矢倉の上にあった。
DJは、矢倉の梯子を登り、完全にオーディエンスを俯瞰してプレイするのである。

いま思い出してもうっとりしてしまう。なんてかっこいい箱だったんだろう。
ここには一時期、月に一回来ていた。

憧れのひとが誘ってくれたから。(というか、ここにはそれでしか来たことがない)

DJは10人くらい。
好きな音楽をプレイする。
みんな大学生。
その中に彼もいた。
だから、ジャンルもバラバラ。
テクノ、ハウス、ロックにスカ、ドラムンベースやプログレ、、

スタートからラストのラジオ体操まで、自由に過ごす。
知り合いの知り合いしかいない密閉空間は安心で安全なシェルターみたいだった。

帰りは、いつも山頭火でラーメンを食べて、早ければ始発で帰る。

いまでは山頭火は下北沢になくなったし、そのクラブも形を変えてしまった。

普段穏やかで、いつも余裕があって、伏し目がちに話す。
待ち合わせにはいつも手ぶらできて、帰りの井の頭線では吊革をふたつ掴むくせのある、少し年上の彼は、
わたしなんかまったく相手にしてなかった。

でも、わたしにとっては、それは全然問題じゃなかった。

グループのなかで過ごしても、たまにふたりきりになっても、
わたしは、彼のこころのなかのことを、ひとつも引き出せなかった。

それに、彼にはギリシャ彫刻のような横顔の、素敵な恋人もいた。

それでも、近くにいられるだけでハッピーだった。
あまりに一方的な感情。というか、本能。

そんな関係のなかで、彼が唯一誘ってくれるのは、そのクラブイベントだけだった。

彼のプレイはいつも二回。
1回目は、ファンクやソウルの往年の名曲を。
2回目は、BJCとブリティッシュロックを。
朝方になると、福岡出身で酒の強い彼も、さすがに酔って、矢倉にぶら下がって客席に漕ぎだしたりして、わたしはそれを眺めているだけでしあわせだった。

フロアには、ヘタしたら100人くらいのひとがいたのだから、
わたしのように思う人間はひとりやふたりではなかったはずだ。

そういうこととは、関係ない場所で、彼はいつも息をしていたように思う。

たまに気が向くと、彼は、わたしに飲み物を買ってきてくれた。
接待だとわかっていても、とっても嬉しかったし、
彼と話していると、ほんとうに何人ものひとと目が合った。

ビールを持つ左手の親指にシルバーの指輪。 胸ポケットに入ってる煙草はラッキーストライク。

指輪をするような男の人は苦手なのに、それは不思議と、品をまとっていて、甘い匂いにドキドキした。

香水をつけるような男の人は苦手だと思っていたのに。

ブラックライトに映えるように、白いガーゼのシャツワンピースを着てきて良かった。とそのときわたしは思っていた。
とにかく、彼に見つけてもらうことが、いちばん大切だった。

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