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14歳、無理やり連れていかれた謎の更生施設の記憶。

私が今まで乗り越えてきたこと。
今40代後半、色んなことがあったな。

子供のころからずーっと我慢してきた家庭環境とかのストレスが
爆発して中2のときに素行が悪くなり始めたら慌てた親に無理やり連れていかれた謎の民間の更生施設。

別にそこまで悪くなったとかじゃないけど、早いうちに悪い芽は摘まなきゃ!と、私にとっては、やっと自分を分かってもらえそうな友達と引き離されることになった。
最初は泣いてわめいて反抗したけど
父親から「1週間だけでいいから行って欲しい、お前の人生のためだから」と涙ながらに言われて、父の涙は殆ど見たことが無かったから、
それをみたら逆らえなくなって結局了承した。

東京にある施設に連れていかれ、1週間、母親とそこに泊まりながらカウンセリングを受けるという内容だった。

何だかよくわかんないけど、とにかく早く1週間が過ぎて地元の県に帰れることだけを考えて逆らわず、でもカウンセリングの先生?みたいな人に本当に心を開くわけでもなく過ごした。

他の同じような境遇の子が何人かいたけど、ほとんど記憶にない。

1週間が経ち、やっと帰れるー!と思ったら大型バスに乗るように言われた。私の地元は東京からは300キロは離れた場所。え?何でバス??
みんな同じ県から来てるのか??と思ったけど、とりあえず乗って出発した。高速に乗ったあたりから真逆の方向に進んでいることに気が付いた。
「どういうこと?どういうこと?」と焦ってソワソワしているうちに、
目的地に到着。
ビックリした。そこは山梨県の山奥でポツンと平屋の手作り風?の大き目の小屋みたいな建物が1つ建っていて
そこには全部で10名くらいの、引きこもりとか非行少年少女とかの10代の子が住んでいた。

話が違うと泣き喚く私を置いて母親は帰ってしまった。なんか捨てられたような気持になった。なんで今までずっと苦しくて、やっとそれを吐き出しかけたところで受け止めては貰えずにこんなところに連れてるんだ??
と怒りでいっぱいになった。同時にこれからどうなるんだろうって不安で人見知りな性格だったのもあり、見知らぬ人々に囲まれて、めちゃめちゃ苦しかった。一人のスペース何てないから逃げ場もないし。

一人仲良くなった同じ年のA子がいたけど、A子は時々、元々そこに長くいるボス?的なB子と一緒になって私につらく当たってきたり悪口とか意地悪めいたことをされたので、なおさらストレスが増した。

私は見た目も色が白くて弱々しく大人しい方だったので舐められやすかったのかも。男子でも一人私に意地悪をしてくるやつがいて本当に嫌だった。

寝るときは男女が左端と右端の1室に分かれて、みんなで横並びに布団を引いて寝るんだけど、A子は早熟な子で夜中にコッソリ男子の部屋に忍び込みその中の一人とHして、女子の部屋に戻ってきて私に報告してくるので、まだ性体験などしたことのない私にはショックと変な嫌悪感とで複雑な気持ちだった。
(ここって更生施設なんじゃないの?裏ではこんなことが起きてるのに何が更生だよ…)って本当に馬鹿らしくなった。

日々の暮らしは朝は4時半に起きて、そこから裸足で2キロマラソン、畑があるので農作業、飼っている牛の世話、瞑想とかカウンセリングとか、そんな暮らしで学校で習う勉強の時間は特になかった。

瞑想は今でこそ認知も広まり効果もあると言われていて良いものだとわかるけど、あの頃は変な音楽に変なガイドで「そっと目を閉じて~…$#%&…」と怪しさ満点、気味が悪くて仕方なかった。

テレビは見ちゃダメだし、手紙が来ても中身を全部調べられるし、電話も勿論ダメ、よほどことが無ければ親にも掛けれないし、お菓子もダメ、質素な玄米とみそ汁とおかずチョット的なご飯で残すのは許されない、食べ切るまで次の食事の時、それでも食べなきゃまた次の食事に出される。それまでは新しいご飯は食べれない。お風呂は週3回。

もー!行ったことないけど刑務所かよ!!って叫びたかった。
何で私がこんなとこにーって毎日、怒りが渦巻いてた。
挙句の果てに、いつ帰れるのか?ってそこの講師に尋ねたら、
「帰れない、学校はここで卒業式をやってやる」とか言われて気が狂いそうになった。

お金は一切持たされず、周りには民家も数キロ先にしかない夜になれば電灯も殆どない真っ暗闇でバスもないし逃げれるわけもなかった。

どーしよーって絶望した。

子供だったから余計になすすべもなく。

でも実は1つだけ希望があった。あのころはテレフォンカードの時代で、それをこっそり隠し持っていた。それである日、講師の目を盗んで夕方コッソリ抜け出して、何日か前に長距離のウォーキングみたいなのをやらされた時に公衆電話があったのを憶えて目を付けていたので、記憶を頼りに薄暗い道を必死で走って目指した。
友達に電話して、コッソリ手紙にお金を入れて送ってもらい何とか脱出するための糸口にしようと考えた。

目的の場所に辿り着いたころには辺りは真っ暗になっていた。周りは木ばかりの一本道にポツンと公衆電話が光って見えた。
「やったー!!」すぐさま友達に電話したら本人が出た!その子の親じゃなくてラッキー!何人か他の子も、その子の家に遊びに来ていたようだったから、みんなに届くように必死で「おねがい!!住所伝えるからお金をばれないように二重の封筒の内側とかに入れて送ってほしいー」って言ったら「とりあえず頑張れー」とか言われて「はぁぁ??」って思っているうちにあっという間にテレフォンカードは全て使い切り終わってしまった。

ボー然とした。「えー友達じゃないのー涙」と思いながら、そんなことで落ち込んでいる暇もなく早く施設に戻らないと脱走したことがバレてヤバいことになる!!と、また一目散に走って帰った。

ひやひやしながらコッソリ戻ろうとしたら、やっぱりバレていて何人かの講師が待ち構えていた。

で、何を言われたかはほとんど記憶にないけど、生徒も含めた施設の人間全員が輪になり、その中心に立たされて一人ずつに自ら体当たりしては思い切り投げ飛ばされたり突き飛ばされるという謎の罰を受けた。
後は髪の毛を切られた。
素足で何度も行ったり来たり踏ん張ったりするから足の裏はマメだらけになった。

でも翌日は裸足でマラソンなので地獄だった。

モーこんなところに居続けるなら死んだ方がマシだって思えた。

嘘かほんとか実際にそこで自殺しちゃった子もいると聞いて尚更怖くなった。あとは帰れない腹いせに放火しようとしたとか…。

なんだんだここはって、私の親はどっからこんなとこ見つけてきたんだ?
やだやだやだやだやだーの毎日だった。

本当に心を開ける相手など一人もいなくて不安と孤独と怒りがたまっていく一方だった。

…が!!そんなとき、やっと本当の希望とチャンスがやってきた!!
講師から「数日後に東京の本部(最初に行った施設)で合同の集まりがあるので日頃、素行の良い子だけを一緒に連れて行く」と告げられた。

もう逃げるチャンスはコレしかない!!と思った。

なので徹底して、その日までは一切逆らわず大人しく良い子で過ごした。

そして見事、連れて行ってもらえるメンバーに選ばれた!!
やったぁー!!!もー待ち遠しくてたまらなかった。

いよいよやってきた当日、東京に向かうバスの中で周りに悟られないようにポーカーフェイスを装いつつも、心の中はこれから実行する脱走を必ず成功させねば!とイメージしてはソワソワドキドキワクワクしていた。

そしていよいよ東京の本部に到着し、そこには私の母親も面会に来ていた。とても久しぶりに感じたけど再開を喜ぶ余裕は無く、むしろ親には怒りと不不信感でいっぱいで、さっさとそこから逃げることしか考えられなかった。何を話したかも全く覚えていない。

東京の本部には会員用の住居があり、そこには団体に入れ込んだ親が元の家を売り払って入信し家族全員で住みついている人達が結構いるようだった。そこの子ども達は逃げようがないため、わずかなお金くらいは持っているんじゃないか?と思い、初対面だけど思い切っての子たちに「お願い!!200円だけで良いので下さい!」とかなんとか言って頼み込んだらくれた。

さらにそこの住人は外出も自由らしくて、タクシーで駅まで行こうとしている人がいたので、「私も許可もらってるので駅まで一緒に乗せてください!」と嘘ついて頼んだら快く乗せてくれて駅にたどり着けた!!

「わぁーやったぁあああああああああああああああああ」

逸る気持ちで入場券だけを買ってホームに入り、普通列車に乗り込み地元を目指して出発!!

ときどき車掌さんが見回り?に来るたびにトイレに隠れたりして、8時間位掛けて、やっと地元に辿り着いたときは涙が出るほど嬉しかった。。。

まだ改札は自動じゃなくて切符を確認する駅員さんはいたけど結構大きい駅だったのでワーッと流れる人ごみに紛れて改札を通り抜けることができた。(時効なので許してください、ごめんなさい)

暫く離れていた間に地下鉄が新しく出来ていて、とまどったけど残りの僅かなお金で切符を買って地下鉄に乗り地元に近い駅まで辿り着いた。

既に夜になっていて14歳の自分は特に行く当てもなくて、友達の家もすぐ親に見つかりそうだし実家なんて戻ったら尚更、絶対連れ戻されると思ったので悩んだ挙句に凄く親しいわけではないけど、なぜか連絡先を知っていた同じ中学の1つ年上の女のヤンキーの先輩を思い出して、あの人なら親がうるさくないような話を聞いたから匿ってくれるかも??と思い切って電話してみた。

そうしたらサラッと「いいよ来なよ!」って言ってくれた!
でも、そこまで行くには結構遠くて、どうしようか悩んで、ふと周りを見渡すと不動産屋??何のお店か正確には忘れたけど明かりがついていていたのでガラっとドアを開け「すみません!道に迷って家に帰れなくて…〇〇あたりまで送ってもらえませんか?」と頼んだら優しい人で本当にそこまで乗せて行ってくれた。よく頼めたなぁ…。

そして先輩の家に無事に到着。
そこからしばらく泊めてもらって過ごしたけど、それはそれでハッピーエンドなんかじゃなくて、さらなる茨の道だった…w

この一件で長年の苦しさや親への思い怒り寂しさ、思春期の多感な時期だったこともあり感情のコントロールが効かなくなり大人への不信感が増して、更に反抗的になってしまった。

人生が迷路みたいに、どんどん複雑になって長い間、彷徨うことになった。

今は有難いことに無事に軌道修正して健康に真面目に、それなりに幸せに生きれているから良いけど、全く後悔が無いと言ったらウソになるかな。

父は難病になり数年前に亡くなってしまったけど…母は元気で今では会えば一緒出かけたり、色々おしゃべりして沢山笑って仲良く過ごしている。
そうなれたのも過去に本気で沢山ぶつかってきたからこそだと思う。
何でも話せる大切な存在で心から愛しているし愛されているのがわかる。

これから先はどんなことが待っているのかな。
過去を振り返ると人生は短くもあり長くもあり不思議な感覚になるけど

また気が向いたら色々書いてみようと思います。
 



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