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人を助けるということ


 どうも。うつで人生と看護師ひとやすみ中のちのみすです。タイトルの意味がなんかでかいですけど、そんな高尚なことは書けないてすのでどうぞ寝転びながら読んでください。
  

助けることを意識した経緯

 今日は自分の診察のために病院に行ってきました。会計待ちをしているとき、斜め前に椅子からずり落ちそうな姿勢で浅い息をしている人が見えたんですね。横にいた人もこの人ちょっとやべえんじゃねえかと思いつつもどうしたら良いかわからんししゃあないというような表情な気がしました(その気持ちもわかる)。それなり中規模な病院なんで人が多いと困ってる人って埋もれがちなんだなあと思いました。仕事から、看護から離れて5ヶ月経つ私は少しどきどきしていました。でもこの療養期間で周りの目を気にする必要無いんだと思えるようになった私は動けました。声をかけてみると案の定、呼吸は促迫、冷汗多量、顔面蒼白、会話はできるけどぎりぎりな御婦人。それでも定期の診察に行こうとする彼女をなだめて受付に看護師を呼んでもらえるよう伝える。ひたすら肩を擦り大丈夫ですよと声を掛ける。久しぶりに看護師モードに入った私は、外見は冷静そのものだが中身はどっきどき。ショックの兆候やんな?熱中症!?心不全!?早く来てくれ〜。すぐに看護師さんが来てくれはって、車椅子で搬送していかはりました。つれていかはるぎりぎりまで付き添いやと思われてた笑。
 以前の私ならその後もその人のことが心配で心配で、もっと早く声掛けたら良かった、私なりのアセスメント伝えたら良かった、なんかあったらどうしようってずーーーっと自分を責めてたでしょう。しかし徐々に自分のことを認められるようになった今の私は凄かった。病院の人たちに任せたからもう大丈夫。よくやったよと自分に声をかけた。自分を信じることで見ず知らずの他人である職員さんも信じられるようになったのです。誰にも感謝こそされなかったけどすごく力が溢れてくるのを感じました。

人を助けるとは  

 もともと人のお世話をするのが好きなことと、手に職つけたい(職人肌の人の働き方に憧れがあった)という漠然とした理由で看護師になった私。HCUで働く中で人を助けることの難しさ、果てしなさ(助ける対象も多いしゴールもわからへん)を実感して、人を助けるなんて気の小さい私には無理なんじゃないかと思っていた。ついこの前まで。でも日々療養スル中で、私が求めていた助けとは、お金とかすぐうつが治る薬とかではなくて、ただただ私の側にゆっくりいてくれる人がいること、私のこと心配してくれる人がいることだったんだなあとわかった。現にそういう関わりをしてもらって元気になってきたから。(うつの療養過程もそのうち書こうと思います)
 
 今日出会った御婦人は私のことなんて覚えてないやろうけど、助けの連鎖で元気になってくれはると信じてる。たとえ自分が元気が無かったり、病気であったとしても人を助けたいと思うことはすごいこと。毎日365日24時間休みなく患者さんや利用者さんに全力で関わっている看護師や医療従事者のみなさんを本当に尊敬しています。でもみなさんも助けられる側にまわる可能性は間違いなくあることを知ってほしいなと。私は考えもしなかったんでね。バリバリ働き続けるもんやと思ってました。やから助けるのハードルは下げて、いろんな手が繫がって多くの人が救われたらいいなと思います。今の私は、とりあえず自分のできる範囲の「助ける」をして、それを見た人にに意外とできるねんで、そんでもし私がしんどくなったら助けてほしいから見といてな!よろしく!的なスタンスで行こうと思います。私は今日御婦人を助けたことで私も助けられたのですね。一昨日施設で久しぶりに利用者さんの食事介助とかしたのも一因ですね。なんかね、癒やされるんですよね。見ず知らずの人間なのに手を握って話しかけてくれるのです。人の温もりから力が溢れてくることを感じたし、自分にもできることがあるんだなって思えた。
 忙しいとね、どんどん自分を思い詰めてしまうので看護や介護で癒やされるってことは難しいと思います。でも、看護や介護や福祉って面白いで、楽しいで、自分自身も助けられることがあるって忘れたくないから今日もつらつらと感じたことを感じたままに書きます。noteの良いとこは、人に直接言うほどでも無いけどなんか話したい伝えたいってことを気軽に書けることですね。そんでいいねとかもらえたときその人の心が伝わってくる気がする。今日もみなさんお疲れ様でした。ありがとうございました。



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