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我が子が不登校になった時

写真は、おばら子どもの居場所で皆んなで育ててるハムスターのろこ君です🩷

今日もよろしくお願いします。スキをいただきありがとうございます。
しかしそれを私がまだ使いこなせてなく失礼しているかと思いますが、温かい目で見守っていただけたら有難いです。

もう息子33歳、結婚もしてますし、仕事もしてます。

不登校になったのは、彼が小学4年の夏休み明け。
彼は凄く動く子で、見てて全力で生きてるような子どもでした。そんな彼ですので、8時になると面白いようにピタッと寝るし、朝早くは起きれない。それ位睡眠時間が必要なんだなぁ〜と思ってました。(笑)
 私は、主人の両親と一緒に住んでいましたので、ゆるりとさせてあげられない。朝早くから、学校に遅れるからと起こされ、持ち物もチェックされ、普段着る服まで言われ、それが積もり積もったのが夏休み!
 私の時代は夏休みと言えばラジオ体操で、そのカードを学校へ提出。息子の時は参加自由になってたにも関わらず、朝6時に内線で起きた?と電話。6:15にまた内線。20分になると階段下に来て遅れるよ!と叫ぶ。なんとか起きて階下におり、カードを探す。
カードがいつもの場所にあれば良いのにない時もある。(苦笑)そんな時カードはここに下げなさいと言われ、カードはおばあちゃんが探し持って行く。

ラジオ体操は、参加自由だとはなしても、周りの目を氣にして行かない選択を良しと出来ない義母。

夏休み、日に日に顔が険しくなり、義母は何か悪い霊が憑いてるのではないかと言い出すしまつ。お祓いに行こうとする。
今思うとあの頃は、苦しかった‼️

凄く優しい人なのに、世間にがんじがらめにされてる自分に氣がつかず、息子への期待で更に縛る。話しても理解は出来ない。人は自分中心なのだとつくづく思う。

このラジオ体操事件は、私の人生の中で大きな変革?変化?の時でしたね。私の歩む道が決まった時でもあります。

彼の話しは、話せばどれだけでもありますが、おいおいお話し出来たらと思います。

私と彼にとって、不登校になった事は大切な通過点であった事は言うまでもありません。全てが今の私達に直結しています。今では、感謝しかありません。

最後に、子ども達のDNAが変化していると言われる時代。そして今の子ども達のDNAには闘争心がないと言われています。それでも、学校は明治時代からずっと同じやり方です。学校の先生達への仕事は増えるばかりです。地域の皆様、子ども達の御父兄の皆様、そして日本に暮らす全ての皆さま、学校は今のままで良いと思いますか?先生達が忙しいのに、子ども達に教育なんて出来ると思いますか?

お願いします。一緒に考えて下さいませんか?

長くなりました。ありがとうございます😊

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