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ストリップ劇場

元ブログより、2019年02月11日に書いた記事です。


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物々しいタイトルだが、タイトルだけで飛んできた人の期待は裏切ること必須。立ち去るがヨロシ。

で、ストリップ劇場。

最近になって知ったのだが、私が小さいころ住んでいた伯父伯母の家の川を挟んだ向こう側は、花街、色街だったそうな。料亭や待合がひしめいていたそうである。
待合と言っても私には何のことかわからぬ。最近になって若い叔母に聞いたら
「連れ込み宿」
と、これまた時代がかった言い方で説明してくれた。

家のあたりはもともと城下で、離れの裏手には川に降りる石段があり、昔は川船が行きかったという。
私が産まれたのは昭和もずっと後で、幼児の頃はいたずらやきかん気で言うことを聞かないときに伯母に叱られ、べそをかいた後、伯母がその石段を私の手を引いて降りて、清流でタオルを絞り顔を拭いてくれたものである。
田舎のこととて当時はまだ水はごく綺麗で、小魚が群れ、ゲンゴロウやヤゴ、ザリガニ、夏になると蛍も飛んだものだった。

母屋と離れの間に風呂があり、そこは便所とつながった建物であった。
風呂場には窓があり、湯に浸かりながら川の流れや、四季折々の木々の色の移り変わりが見られた。テッポウ風呂というやつで、風呂好きの伯父伯母は毎日風呂をたてた。(お借りした画像です)


     

鉄砲風呂

私は幼稚園に入ったのが5歳になる年で、その前にこの風呂の沸かし方を覚えた。火の点け方、火の調整の仕方、その前に材を割るのもナタで、伯父は手際よくやって見せ、興味津々の私に必ずやらせてくれたものだ。

さて、その風呂に入るのは、伯父とだったり伯母とだったり特に決まっていなかったが、川沿いの木の葉が散ると向かい側のストリップ劇場の楽屋が見えるようになる。
伯母が看護師として働いていた医院は、川向うにあった。徒歩3分で行ける。家を出て右に橋があり、そこを渡って右。

すぐ、ストリップ劇場があった。
私は小さい頃熱を出すたびにその先の、伯母が勤めていた医院で診てもらっていたので必ず劇場前を通ることになる。隠すような隠さないような、綺麗な女の人のポスターが貼られているのが常のことだった。

入口は実に殺風景で、小窓と、扉があるだけ。中は極力見えないよう、また、小窓で入場料を払うらしく、それもまた受付と客とが互いに顔が見えない程度の大きさだった。
医院の先に児童公園があり、週に何回か紙芝居屋さんが来る。

その時は子供たちが多く集まるので、それらの子たちも劇場の前を通るし、嫌でも目に入る。

が、どの子も劇場前は顔をまっすぐに向けたまま一瞥もせず、走って通り過ぎるのだ。

伯母はいちいち私に注意することはなかったが、私は私で、心に浮かぶ疑問を口にすることはできないのだった。
秋も深まった頃、日が暮れるのは早く夕飯前に伯母と風呂に入っていた私は、川向うの劇場の楽屋がまぶしいほどの明かりで、踊り子さんたちが入れ代わり立ち代わり衣装を変えているのを目の当たりにした。
にぎにぎしい音楽も聞こえている。

「ママ・・・」
思わず聞いていた。
「げきじょうって、おきゃくさん、みたことないけど」

伯母の答えは単純明快だった。
「大人しか行かないから暗くなってから開くの」
「あのひとたちは?」
「踊るの」
「ふぅん」

その時、ガラス越しに踊り子さんの一人と目が合った気がした。そんなはずはないのだが私は思わず目を背け、タオルで顔を洗うふりをしたことを覚えている。
踊り子さんの化粧も衣装もキラキラと華やかなのに、なんだかとってもしょんぼりとして見えたのは、どうしてだったのだろう。

知り合いの方が、ずいぶん若い頃新宿のストリップ劇場で照明係をやっていたことがあると聞いた。その人がこんなことを言っていた。(ご本人様の承諾を得て、そのまま載せています)

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 妻が横で山口百恵のさよならの向こう側を口ずさんでる。
 この曲は自分にも特別な思い出がある。
 素人の子が卒業する興行でこの曲を選曲してこの曲のラストを演出し  た。
 泣きながら照明した、たかがストリップされどストリップそんな俺のストリップ物語。

 踊り子さんって素敵な衣装を着て煌びやかなダンスを踊るんだよな。 
 でも最後は一糸まとわぬ姿になってしまうんだよ。 
 だから俺はそんな踊り子さんにせめて光の衣装を着て欲しい一心で照明やってた。 
 全てはここが自分の原点があったのかも

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踊り子や、劇場での仕事に携わる事情は、きっとそれぞれなのだろう。
私は実際のストリップを見たことはないが、社員旅行先で男性社員が夜出かけて行って、ニタニタと戻って来たのは知っている。
裸さえ見れればそれでいいのだろうか。

舞台で一人踊る女性の覚悟と、食いつくような沢山の目。
やがて一糸まとわぬ姿を晒す。
心にだけは鍵をかけようとも・・・。

私が川を挟んで窓越しに見た踊り子さんたちも、もう妙齢になっている事だろう。

光の衣装を差し伸べた人の心を、踊り子さんは知っているだろうか。
踊りや照明の仕事を辞めてのち、誰かの温かい心に触れ得ただろうか。
誰かに温かい思いを届け得ただろうか。

楽屋の明かりと、ひやかしと嬌声と、音楽とどぎついほどの色。
思い起こせば昨日のことのように鮮やかなのに、ずいぶんと時間が経ってしまったことにおののく。

あの劇場も、隠すように立っていた木も、風呂場も家も今は無い。


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