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優しい人の居場所は。

遠くを見据えている。ずーっと遠くを。
その後は嬉しそうに寂しそうに微笑んで、俯く。
優しいあの子はどこか、遠くへ行ってしまいそう。

あくまで、私が見た優しすぎる人のこと。

優しすぎる人は、何かといつも戦っている。

優しすぎる人は、自分をどこかへ
置いて行ってしまっている。

自分には厳しくて誰かへは優しすぎる人は、
何かを諦めている。

気づかない人の方が多いのに
誰かの影を見つけた人は、立ち止まって愛でる。
慈しみ、言葉を掛ける。

ありがとう。と伝えられて嬉しいのに、
それなのに優しすぎる人は
顔のパンを分け与えたヒーローのように
元気が無くなっている。

私はそんな人を見て時々思う。
影を持つその人を思いやって
立ち止まっているのと同時に
自分自身を抱きしめているようだと。

きっと優しい人は、今も影と共に歩いていて、
なかなか消えない傷と一緒に生きていて
消化できなかったそれらを抱えたまま
似た影を持つ目の前の人を
愛でることで自分自身を癒そうとしている。

そして同時にこうも思う。
影を見過ごせない優しい人が
いざ座り込んでしまった時は

誰かがちゃんと居るのだろうか、
誰かが立ち止まってくれるんだろうか、
たったひとりで、泣いていないだろうかって。

「独りを選ばないで欲しい。」
どこかで、どこかのバンドが言い放った言葉。
もちろん、誰でも孤独は嫌いだと思う。
できれば誰かと滞りなく繋がっていたい。
ひとりが好きな人もきっとどこかでは
自分と同じようなひとりを求めている。

だけど、そんなに単純ではない。
“ひとり”と”独り”を選んだ人は、
きっと誰よりも誰かといることを期待した人だ。
思わず口角が上がってしまうような
誰かとの日常を信じた人だと思う。

けれど、その道すがら
あっけなく手を離されてしまったから
気づけばひとりで泣いてたから
ひとりでいる時の自分の方が
自分らしくいれたから、

誰の息遣いも感じない冷たい場所へと
諦めが大きい顔をする遠く離れた所へと
進んでいくのかもしれない。

はたまた、独りなまま
寂しさが紛れる集団に居て、
より”独り”を感じているのかも知れない。

きっと、それが心地いいものなら、いい。

けれど、そうする事で自分を見失う様なら
息苦しいなら、優しすぎる人。

どうか、まずは自分を見て欲しい。
同じ様な誰かがいたなら、
影を見て立ち止まったなら、
自分自身も誰かにすがって。

からっからの湖では、何も渡せない。
自分にも、相手へも。

自分を愛でて、過去の影を無視しないで
とことん自分と向き合って
少しずつ潤いを取り戻せばいいと、思う。
そうやって同じ様な人たちと出会い
同じ様なものを抱えては、癒し合えたらいい。

ずっと探してる誰かは、
どこかにちゃんといる。

それは、人間なのか動物なのか
対面して出会えるのか、
それともネット上なのか

映画の中のセリフなのか、情景なのか
アニメの中の勇敢な村人Bなのか
打たれ弱い主人公なのか。

どこかに居る似た人やモノ、空間を見つけて
ひとりでも、決して”独り”ではない。と
思えたら、目線の先が少しだけ光ってくれる様な
踏み出す足が弾んでくれる様な気がする。

勝手ながらすぎる文章でしたが、
どこかの優しすぎて疲れた人へ
何かの栄養になってくれればと思います。

今日も、ありがとう。と心身を撫でて
おやすみなさい。



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