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楽しかった寒い思い出(2)


■金魚の話

高1のとき、港まつりの金魚すくいで3匹金魚をすくった。じきに2匹は死んでしまったが、1匹は元気に育った。時々、鱗が白くなったが、そんな時は「風邪気味」と判断して少量の塩を入れると、やがて元気を取り戻した。当時の僕は、公営住宅に付け足した部屋で一人、寝起きしていた。金魚鉢はその部屋の机の上に置いていた。

泳ぎ回る金魚。名前はまだない。


冬は石油ストーブをつけて勉強していたが、この部屋の壁は薄かったので、
ストーブを消した瞬間から部屋の温度はぐんぐん下がる。よって、朝起きた時、金魚鉢の水は殆ど氷になり、金魚は辛うじてシャーベット状に残った中央の水の中でピクピクしていた。勿論泳ぐことはできない。でも、部屋が暖かくなって氷が溶けると、金魚はその内に泳ぎ出した。そういうことを何度も繰り返して高1の冬を越え、やがて高2の冬を迎えた。

ピクピクしても動けず戸惑う金魚。

2月のある朝起きると、机の上の金魚鉢は中央迄完璧に凍っていた。冷凍金魚。前夜は1時ころに寝て、起きたのが6時前だったので、石油ストーブを消してから僅か5時間の間に氷の塊になったのだ。流石にそのときは、金魚も駄目だと思ったが、母が「(居間の)石炭ストーブの傍に置いておいたら、お前が学校に行っている間に、午後4時頃に動き始めたのよ」と笑った。

冷凍金魚。

■その夜は本当に寒かった

部屋の壁が薄かったので、出した布団は既に氷のように冷たかった。固定観念とは恐ろしいもので、寝る時は服を脱ぐ、靴下も脱ぐものと思っていたので、「暖かい恰好をして」という考えが湧かなかった。パジャマはなかったので、よってパンツ一丁、上半身裸で恐る恐る布団に入った。脱いだセーターやシャツは布団の中に入れ、首周りの寒さを防いだ。体が触れている場所が温まっていくと、そのままの形でミイラのように眠った。体が触れていない所は冷たいままなので、寝返りは禁止だ(笑)。

窓から外が見えている風に描きたかったが、もう少し修業が必要だ。


朝目が覚めると―20℃というのは(その部屋の中で)一冬の間に何度かあるものだったが、その朝は、目が覚めると異常な寒さを顔に感じた。首をひねって枕元の寒暖計を覗くと、-42℃だった。(大笑)

ストーブを点けるには起きなくてはならない。布団の中に入れて置いた服を布団の中で、外気が布団に入らないように、そーっとそーっと着た。そうして、起きて机の上を見たら、金魚がバリバリに凍っていたという、先ほどの話になります。

その朝は北海道の史上最低気温だったと記憶している。確か-39℃だった。だけど、僕の部屋の寒暖計は-42℃だったので、勝った気がした。(笑)


■余談だが

「寝る=服も靴下も脱ぐ」という考えから抜け出すには随分時間が掛かった。25歳で大学を遅れて卒業した年、大阪から鉄道チッキで布団を送った。布団の到着を東京のアパート待っていると、遅延の知らせが届いた。

アパートにはまだストーブも買っていない。布団がないからと言って、どこかホテルを捜して泊まるという考えもなかった。もともと、そんな余裕もなかったし。そこで、オーバーを敷き、その日買ったカーテンを掛け布団代わりに、セーターなど役に立ちそうなものを上に乗せて服を着たまま寝た。この時、やっと固定観念から抜け出せたのかも知れない。

しかし、寒くて眠れない。これまた2月の寒い日だった。眠れず2時を過ぎたころ、妙案が湧いた。

そうだ! 裸で寝よう!」(大笑)

あの時のように上半身裸でパンツ一丁になり、脱いだ服を上に掛けて寝た。果たして、案外暖かく眠りにつけたのだから驚きだ! 


今でも冬に、布団から体を出して、一度冷やしてから寝たりしている。(汗)


(まこと)


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