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中学1年の思い出

1年の時の記憶はなぜか少ない。

担任は体つきのガシッとした田中新時先生でした。


■最初の教訓

教室を出た廊下の向かい壁には、生徒の持ち物を吊るすためのフックが取り付けられていた。

1学期最初の日の放課後だったろうか、田中先生からフックに番号を貼るよう頼まれ、人数分、即ち生徒の数、約50名分のシールを渡された。

当時、裏紙を剥がして貼る洒落たタイプのシールはまだなく、切手と同じように水で濡らして貼るタイプだった。でも、先生からは水を入れる容器もスポンジも渡されなかったので、

ま、いいや。舐めちゃえ!

と、一枚一枚、舐めて貼り始めた。


しかし、2,3枚までは調子良かったのだが、10枚も舐めると、唾は出なくなるし、なによりも、すごく気持ちが悪くなってきた。

「オエー、気持ち悪い!」
「こりゃ、ダメだ!」

この時点でも胃がむかついていたので、あと数枚も舐めたら完全に吐きまくっていたに違いない。よって、舐めるのは止めて、ハンカチか何かに水を浸して、残りの作業をこなした。

かくして、中学最初の教訓は「切手も舐めるのは2,3枚まで」。

あのシールや切手の糊の成分は知らないが、今でも、切手を舐めると、あの時の気分の悪さが戻ってくる。(笑)


■隣の生徒

記憶とは恐ろしいもので、校舎の中廊下をすっかり忘れていたのに、1年最初の席が右の後ろだったことを思い出した。しかも、隣の生徒のことも!

それは、桶田君だった。

僕が「桶」の字を知ったのはこの時だったことを鮮明に覚えている。

優しい感じの大柄の人でした。確か2年生の頃に転校したのでは? 卒業アルバムに載っていないので、多分そうだと思う。


田中先生は確か国語の先生だったと思う。

担任の教科もはっきり思い出せないのに、思い出せるのが、シールを舐めて気分が悪くなったことや、最初の席のことだなんて、笑っちゃう。


田中先生が国語だったら、尋ねてみたいことがある。

なぜか、1学期の通知票、国語の「わかりやすく効果的に話せる」の所が「✖」になっているのだ。

ま、自分でも薄々気づいているけどね(笑)。

(まこと)


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