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ガンさんと土鍋と年賀状

岩(ガン)さんとの出会いは大学時代に遡ります。当時私は25歳でした。


大学時代、僕は4年に進級してすぐに「短期労筋ビザ」が取得できるプログラムを通じてアメリカへ渡りました。ひと夏を避暑地のホテルでウェイターをして過ごした後、そのヒザでは滞在延長が許されず、追われるようにイギリスへ渡ったのは秋も深まる中でした。

ロンドンでは2年半程過ごしましたが、「過ごした」というより、帰ってくるお金が無かったから「じっとしていた」と言う方が正解かも知れません。そうした放浪に近い生活の後、やっと日本へ戻り、大学卒業のため大阪は枚方市の友人宅へ転がり込みました。そのとき見つけたバイト先がECC英会話学校の講師でした。


岩さん、こと、岩沢さんは僕が受け持つ香里園校の初級クラスに入って来ました。クラスには幾人もの社会人がいましたが、岩さんは一番の年長さんでした。声は渋く、顔は浅黒く、「通称ガンさんと呼ばれています」と自己紹介されたとき、僕は、頑固のガンさんの方がふさわしいのではと思った位、どこかに一徹さを感じきせる人でした。

◇ ◇ ◇


これまでの人生の中で、実に多くの人のお世話になって来ましたが、岩さんもその一人で、大変お世話になりました。


ある時、レッスンの後、フグ刺しを食べに連れて行って下さったことがあります。大きなお皿に菊の花びらの様に綺麗に盛られたフグ刺しが運ばれて来たときの感激は忘れようがありません。僕には生まれて初めてのフグ刺しだったのです。以来、「フグ刺し=岩さん」のパターンが出来上がり、彼を思わずしてフグ刺しを食べることも語ることもありません。


ある時は、東京から遊びに来た彼女と寝屋川の自宅に招待して下さったこともあります。奥さんの手料理が並ぶ食卓についたとき、奥から背の高い、高校生の息子さんが出て来ました。岩さんは息子さんに挨拶をするよう促しながら照れていました。父親の息子に対する照れだったのでしょう。


当時も今もそうですが、私はあがり性で、すごく緊張する性なので、そのときも大変緊張していました。ですから、そのときの料理のことも、話しの内容も、どう奥様にお礼を述べて帰途についたかも、何も思い出せないのが残念です。ただ、西洋の人達の最大のもてなし方は、自宅に招待することだと聞き知っていたので、その時そのことを考え、同様のもてなしをして下さったのだと、有り難い気持ちで一杯だったのは今も忘れません。

就職時に届いた電報。岩さん、優しい…。


大学を終え、東京に就職してからも岩さんとの連洛は断片的に続いていました。長女が誕生して間もなく、彼から一つの荷物が届きました。包みを開けて私たちは声を上げて喜びました。なかには土鍋が入っていたのです。

文字通りの質素な生活をしていた私たちに、この土鍋は宝物のような贈り物でした。どこででも買えるかも知れない土鍋ですが、はるばる大阪の地から送られてきた土鍋に、故郷からの小包のような暖かさを感じました。


この土鍋にも大変お世話になりました。社交ダンスサークルの仲間が来ては鍋や、おでん、雑炊などを囲みました。英語で知り合った岩さんからの土鍋の周りには、幾度も幾度も夜中まで、ダンスに夢中になる若者達の話の花が咲きました。

岩さんが送って下さった土鍋は我が家の必需品でした。
(仲間達との写真が見つかりませんでした)

  


1998年正月のことです。昨年は彼から年賀状が来なかったナと思っていたら、今年はちゃんとやってきました。「去年は忘れてたんだね」と話ながら目を通すと、あのときお会いした息子さんからで、岩さんは2年前に他界されたことが書かれていました。

僕たちは多くを語らず、静かに事実を受け止めました。

◇ ◇ ◇

岩さんは仕事の閲係から度々出張に出ていたようです。でも出張の帰りでもレッスンの日には、あと5分か10分しか残っていなくとも、必ずクラスに駆け付けてくれました。二コッと、「いま○○へ行った帰りなんです。」と告げる彼の笑顔が素敵でした。時間がないときは、息子さんのドロップ・ハンドルの自転車で駆け付けてくる事もありましたが、帰り際に見るその姿は、僕の目に、いかにも洒落て映ったものです。


僕たちがサークルを作ったころ、「仕事で遅くなっても、最後の5分でも来て下さい。お掃除にだけでも来て下さい。顔を見せに来てね。」とよく言っていましたが、そのルーツはここにあったのです。今日のサークル活動の中でそう話す機会は減りましたが、僕の気持ちは今も同じです。そして、自分が何かを習ったり、何かに参加したりするときは、彼の姿勢を受け継いで行こうと思っています。

彼から頂いた多くのご厚意には、これから関わって行く人との中で返して行くのが、彼への恩返しと思っています。

彼の言葉に心が引き締まりました。


◇ ◇ ◇

まだ、岩さんのお家に電話もしていません。
お香典も送っていません。
奥様にはお花も届けていません。

ごめんなさい。
でも、それはしたくないのです。


僕がしたいことは別にあるのです。

また年賀状を書かせて下さい。

昔、初めて出したときのように。

そして僕たちが夫婦になり、夫婦から家族になったときのように、また年賀状を出させて下さい。

この次もその次も、僕たちのことをお伝えしていきたいのです。

僕の気持ちは、なんにも変っていないのですから。

奥さんと息子さんの所を経由して、天国の岩さんに届けたいから。

   
その後しばらくして、受け取る方も大変かなと思って、年賀状は出さないようにしました。

でも、年賀状の時期になると岩さんのことを思い出し、静かな時間に浸るのです。

(まこと)



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