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私が出来上がるまで(父は生きている)39

父が亡くなり、家庭内も荒れて、嫌なことばかり家では起こります。
一度、母が会社の上司とやらを家に連れ込んだことがありました。
私が高校生の頃です。
この話は母ももうこの世にいないので初めてします。
時効かなと。

学校から帰って2階の自分の部屋に入ると、なんと、私のベットに母とハゲた知らないおじさんが座っているのです。
私はそう言う面はかなりの奥手で頭も純粋培養でしたが、この光景はいくら私でもピンときました。
もちろん怒りました。
私の毎晩寝てるベットです。
腹が立つのと気持ちが悪いのと、悲しいのとが入り乱れます。
おじさんはすぐに帰りましたが、あの時の2人の私向けた誤魔化すための変な笑顔が目に焼き付いてます。

汚らわしい。
母を益々嫌いになっていきます。
反抗期も相まって倍増していきました。
私は自分の感情をはっきり覚えてます。
小さい頃から母と話をしたくても上から抑え付けられ、まともに会話をしてくれなかった。
少し大きくなって進路に迷っても、私の人生ではなく、お金のことしか言わない母。
どんどん大人になるにつれ、母の会話の薄さに呆れ返っていました。
会話といえばどこどこのスーパーは〇〇が少し安いとか、近所の奥さんは暇だから朝から晩まで仕事もせずに立ち話してるとか。
私は母が話す内容に対してくだらないとバカにしていました。
何かにつけて意見も合わないのです。
とにかく何かがしたいと言っても必ずダメ。
私のことではなく、自分のことを考えての発言しかしないのです。
母が子供の私にしていたことを私は母に向けてしていたのです。
生活費を出してもらっている以上抑えつけることは出来ませんが、その分口答えと反抗だけはきつかったと思います。
この時期は母が敵に見えていました。
反抗するには理由があると私自身は感じてます。
何故なら私自身我が子たち向き合ってきたつもりなので、それだけではないとは思いますが、反抗期がなかったのです。
なんでも話してくれ、今も変わらないです。

私は、非行に走る家庭はこう言うところからだろうと感じました。
私も非行に走ってもいいくらいの条件だと思います。
けど、私が不良にならなかったのは、どこか現実を子供ながらに見ていたのだと思います。
この地獄から脱するためには自分の能力を高めて稼ぐことだとそれ一点に集中していました。
見下す大人の環境にいたので、見返してやりたいと思っていました。
それは自分が堕落していって、世の中に反発する不良になることではないのです。
ダラダラと不良仲間と集まって、人のことを悪く言ったり、悪いことをしに行ったり、集団でないと行動しないあの仲間にはとても楽しい空気を感じることができないのです。
慰めにも私にはならないのです。
そこで愚痴を言って分かってもらって慰め合うより前に進むには何かをしないとと思っていました。
悪いことをして大人や周りに注目してもらっても私は今の不遇な人生を変えることもできないし、その場限りで発散することすらないのです。
何故私がその方向に考えれたのかはわからないですが、恐らく父が小さい頃から私に語りかけてくれていたことがカラダの中に浸透してるのだと思っています。
負けたくない!這い上がりたい!そう思うのは、小さい頃から苦労をしてきた父の話を暗記するくらい聞いてきたからかもしれません。

父は実母に捨てられてます。
勉強ができるのに進学も諦めてます。
子供の頃から働いて、おばあちゃんを助けて生きてきました。
不幸な生い立ちですが、負けるものかと這い上がってきた父を尊敬してます。
そんな大人になりたいと今も思っています。
恐らく私が不良にならないのは父の教えが生き続けているからです。

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