ロコちゃん

心のままを綴ります。 誰にも言ったことのない話が多いです。 人生不思議な経験や波瀾万丈…

ロコちゃん

心のままを綴ります。 誰にも言ったことのない話が多いです。 人生不思議な経験や波瀾万丈な経験をたくさんしてきました。 今もその真っ最中です。

最近の記事

私が出来上がるまで47(一次審査合格)

大学在学中に友達の影響もあり、アメリカ短期留学を決めた私。 母から費用を出してもらう事は皆無なので、幾つものバイトに励み、お金を貯めていた矢先、たまたま申し込んだ、雑誌のアメリカ留学レポートに、書類審査が通ったのです。 確か、当時はインターネットなど普及してなかったので、書類が届いてました。 一次審査に合格したので、二時審査に東京へ来てくださいとありました。 二時審査の内容は書かれてなかったです。 そしてこの出版社、小学館から東京までの交通費もまかなってもらえると言う事でし

    • 私が出来上がるまで46(刺激をくれた友達Tコとの出会い)

      大学へ行こうと決めたのは16の時。 今の時代、学歴社会になっていて、中卒や高卒では満足のいく仕事や給料にはありつけないと、子供ながらに感じていました。 なので、無理を言ってでも押し通して学校もかわり、進学する決意をしたのです。 もちろん学閥のことは知ってはいました。 が、学校名よりもとにかく中卒、高卒ではないこと、それが優先でした。 目的は将来の就職のためでもあったのです。 しかし、大学へ行き、人生を変えることに。 学校自体は家からもかなり遠く、母が許さないので、家から往復

      • 私が出来上がるまで45(アフタースキー)

        大学のサークルで行った人生初のスキー。 カチカチに硬直して滑っていたのでカラダはクタクタでした。 しかし、夜ご飯後のアフタースキーがこんなに楽しいものとは。 女子校から大学へきたので、久しぶりの男女共学。 先輩たちは面白い人、かっこいい人、いろんな種類の人がいます。 中でも、根っから面白要素満載の憎めないキャラの男子の先輩が私は大好きでした。 この頃、初めて付き合った彼氏がいたので、好きと言っても恋心とは違いました。 一緒にいて楽しい人。 いつも笑かしてくれる楽しい人でした。

        • 私が出来上がるまで(スキー)44

          私は小さい頃から運動は得意な方でした。 身長が高かったせいか小学生時代は球技も走りも体操競技も得意で、特に訓練しているわけではないのに、カラダが勝手に動いていたようでした。 リレーの選手には6年間必ず選ばれてきました。 負けず嫌いもありましたが、身長の高さはかなり他の生徒より得をしていたと思います。 球技も大好きで、ゲーム感覚で休み時間には皆んなでドッジボールをよくやりました。 そして、体育の授業では跳び箱も大好きで段の数をいくつか違うのを置いてどこまで飛べるのかをみられまし

        私が出来上がるまで47(一次審査合格)

          私が出来上がるまで(大学入学)43

          父が消えて、家庭崩壊していったあの環境から私は少しずつ這いあがろうとしていました。 教育に関して興味のない母。 とにかくお金には厳しい母に、やりたいことをするための費用を出させることは難しいとわかっていたので、学生時代はとにかくアルバイトをがんばりました。 私の大学生活は社会勉強でもありました。 時間割が決められ、カリキュラム通りに乗っかっていた学生時代とは打って変わり、大学というところは自由です。 この自由というのがとても難しいと初めて知りました。 単位制なので、進級、卒

          私が出来上がるまで(大学入学)43

          私が出来上がるまで(読者モデルだった)42

          そうです。私は今で言う読者モデル、読モになりました。 契約を交わしたりはしないのですが、次々と美味しいバイトがこのカメラマンさんからいただけるようになったのです。 アルバイトニュースに載った後、今でも10代20代の女子にはファッションのバイブルとなって読まれている代表的なファッション雑誌にも呼ばれました。 いつもテーマがあってそれにあった自前の洋服を着て梅田で撮影しました。 私は自分でバイトをして得たお金で、学校までの交通費とお昼代、洋服代、遊興費を賄わねばなりません。 洋服

          私が出来上がるまで(読者モデルだった)42

          私が出来上がるまで(スカウトされた)41

          私が地獄の家庭環境から這い上がっていく過程で、この大学へ進学したことがひとつの転機だったように思います。 ビアガーデンでは高校時代楽しかったファミレスでのサークル感のある青春を超えるほどの楽しいバイト生活でした。 チケット売りは女子大生ばかりです。 そして、フロアの黒服は男子大学生ばかり。  恋が芽生えます。 黒服のリーダーのOくんがカッコよくて好きになりました。 リーダーということでしっかりして見えたのもありますが、とにかく私は面食い。 お顔もよく見えてました。 何より高

          私が出来上がるまで(スカウトされた)41

          私が出来上がるまで(人生が好転していく)40

          私が人生を好転してきたのは大学へ進学したことからだと思っています。 高校に行った時に、これからは最低でも大学か短大は出ていないと、社会では見てくれないと感じていました。 学歴社会を感じ取っていました。 なので、どんなことをしても最低限の学歴が欲しかったのです。 なので、希望の社会福祉学科ではなかったのですが、英文科へ行くことにしました。 京都の学校です。 私の家から4回も乗り換えて、片道3時間ほどかかります。 寮に入りたいと母に頼みましたが、猛反対。 学費は奨学金を借りてい

          私が出来上がるまで(人生が好転していく)40

          私が出来上がるまで(父は生きている)39

          父が亡くなり、家庭内も荒れて、嫌なことばかり家では起こります。 一度、母が会社の上司とやらを家に連れ込んだことがありました。 私が高校生の頃です。 この話は母ももうこの世にいないので初めてします。 時効かなと。 学校から帰って2階の自分の部屋に入ると、なんと、私のベットに母とハゲた知らないおじさんが座っているのです。 私はそう言う面はかなりの奥手で頭も純粋培養でしたが、この光景はいくら私でもピンときました。 もちろん怒りました。 私の毎晩寝てるベットです。 腹が立つのと気持

          私が出来上がるまで(父は生きている)39

          私が出来上がるまで(命を捨てかけた)38

          そんな兄は人とうまくやっていきにくい人だったのか、いえ、結構社交的でした。 家でもお笑いが大好きで、面白いことばかりして私を笑わせていました。 そう言うところで学生時代友達もいたのだと思います。 が、長続きしないのは、兄のわがままで自分しか見えていないところだと思います。 それと、大人になって社会に出て、人とうまく接せられないように見えました。 スーパーマーケットで勤めても、周りにすぐに可愛がられます。 けれど、兄は誰にも心を開きません。 行くのがすぐに嫌になり、朝起きなくな

          私が出来上がるまで(命を捨てかけた)38

          私が出来上がるまで(兄の奇行)37

          楽しく高校時代は過ごしていましたが、家庭は真逆でした。 父が亡くなる頃から兄は問題を抱えていました。 小さい頃から問題児ではありましたが、大きくなるにつれて、それが本物だとわかってきたのです。 友達はいましたが、長く続きません。 学校が変わると会うこともなくなっていました。 中にはとても勉強のできる友達もいました。 ひとくせもふたくせもある兄とよく仲良くしてくださっていたなぁと今でも思います。 兄は高校へは父の言いつけで仕方なく私立へ入りました。 が、学校へはほとんど登校

          私が出来上がるまで(兄の奇行)37

          私が出来上がるまで(花の女子校から大学受験)36

          この女子校時代での1番楽しかったアルバイトではちょっとした恋心も。 このバイト仲間には私と友人のKっち、他にも女子が2人ほど、後男子も大阪大学在学中の人や、公立高校の男子が数名とフリーターも確かいました。 時々数名でバイト終わりにお茶して帰っていました。 中でもサーファーっぽいY君が1番モテていました。 私も彼と話すとウキウキして楽しかったです。 けど、前の高校のI先輩みたいな恋心ほどは湧かなかったです。 とはいえ、バイト中もバックヤードで変なパフェを作って遊んだり、バカなこ

          私が出来上がるまで(花の女子校から大学受験)36

          私が出来上がるまで(高校時代のアルバイト)35

          女子校時代の思い出は、とにかく笑って過ごした感じです。 後半は受験勉強のみでしたが、それまでは気の合うT子と人気タレントやアイドル、学校の先生のモノマネをして、恥ずかしいなど微塵も出ず、全てをさらけだしてるかのようにバカなことをしてたような気がします。 夏休みにはアルバイトもしました。 始めはなかなか社会の大人に溶け込めず、喫茶店のウエイトレスをしたものの、1週間続けばよかったくらいです。 今ではどうってことのない言葉、声掛けの「いらっしゃいませ」すら勇気がいったのです。

          私が出来上がるまで(高校時代のアルバイト)35

          私が出来上がるまで(ジェンダーレスの世界)34

          私の2回目の高校生活はとても楽しいものでした。 勉強は受験のためだけにしました。 この学校はレベルが低いのもあって、学校内で成績上位を保つことはそんなに難しいことではなかったのです。 少しばかり優越感に浸れます。 もちろん、他の学校へ行けば私の学力など大したことはありません。 受験勉強は要の英語に力を入れていました。 家庭教師も夏休みの間だけつけてもらったために、英検2級を高2で合格したのですが、この学校では快挙のようで担任が喜んでクラスで報告してました。 学校の授業だけで

          私が出来上がるまで(ジェンダーレスの世界)34

          私が出来上がるまで(ニセ不良との戦い)33

          私の入った女子校は始めは少し不良娘がいましたが、そう言う子たちは続かず夏休みが終わると次々と学校を辞めていきました。 なので、本気の不良は残っていなかったのです。 しかし、本気の不良がいた頃はその子たちに目をつけられるのが怖くておとなしくしていたけど、実は注目を浴びたかった子が、彼女らが去ったとわかると途端に芽を吹き出します。 初めの頃私と仲が良かったS美です。 真面目な格好だったのに、不良がいないことを確認してから、どんどんワルに見えるように変身していくのです。 この頃は

          私が出来上がるまで(ニセ不良との戦い)33

          私が出来上がるまで(新しい友達)32

          新しい制服は憧れのセーラー服ではなかったものの、ブレザーにネクタイがとてもかっこよくて気に入っていました。 出席番号順の席になっていて、私の次の名前の人Sさんとすぐに意気投合して仲良くなりました。 彼女は慎重派も高く、私よりも高かったです。 とにかく面白い子で2人でバカなことばかり言って毎日ふざけて遊んでいました。 家に遊びにも行きました。 真面目な話しも少ししたことはありますが、基本ふざけっぱなしです。 しかし、彼女はすぐに退学してしまいました。 他の学校へ行ったとは聴い

          私が出来上がるまで(新しい友達)32