見出し画像

私が出来上がるまで(読者モデルだった)42

そうです。私は今で言う読者モデル、読モになりました。
契約を交わしたりはしないのですが、次々と美味しいバイトがこのカメラマンさんからいただけるようになったのです。
アルバイトニュースに載った後、今でも10代20代の女子にはファッションのバイブルとなって読まれている代表的なファッション雑誌にも呼ばれました。
いつもテーマがあってそれにあった自前の洋服を着て梅田で撮影しました。
私は自分でバイトをして得たお金で、学校までの交通費とお昼代、洋服代、遊興費を賄わねばなりません。
洋服は母が買ってくれなかった反動でしょうか、バイトの半分は洋服に消えました。

当時デザイナーズブランドが流行っていて、スカート一枚で1〜2万円くらいはしていたと思います。
Tシャツも1万円くらいのを買ったこともありました。
母が聞いたらひっくり返ると思います。
洋服にそんなお金をかけるなんて。
母には価値のないこと。
私はモデル気分で最新のお洋服をあれこれ買いました。
上等な洋服は自分の価値まで上げてくれているように思いました。

撮影は大きなレフ板もあり、本格的でした。
ビルの谷間で撮影した時とかは向こうのほうからこのカメラを意識せずに普通に歩いてきてと言われ、私はど素人なのでドギマギしながらぎこちなく歩いたと思います。
モデルのレッスンなど受けたこともありません

しかし、出来上がった写真はとても自然で私の一瞬を写してくれていました。
コメントも、「え?これ本当にわたし?」と思うほどきらびやかに思えるような文言が並んでいたと思います。
私がインタビュー受けた内容がかなり脚色されていました。
実は今でもその時の雑誌を全部保管してます。
主人や子供にも見せてます。
が、今となってはとても恥ずかしくて、物置の奥にしまったままで何十年も見てないです。

モデルのバイトだけでなく、大阪の有名なホテルのオープンパーティーにも呼ばれました。
プレオープンパーティーなので、各界の有名人や政治家が集まります。
ホテルでの立食パーティーです。
ここでただただ飲み食いしていいと言うのです。
ここにはモデル事務所に所属する女子たちも集まります。
私たちは有名人のお相手をするわけでもなく、お酒をつぐわけでもお料理を取り分けるわけでもありません。
有名人の方達と同じく招待されているのです。
ホテルの料理など、19や20の田舎娘が食べたことなどありません。
タレントや政治家など目もくれず、友達とワイワイ言いながら食べ続けていたと思います。

それで当時1万円だったと思います。
バイト代までくれるのです。
こんな世界があるのかと驚きました。
ここでモデルの友達も何人かできました。
また、ビル開局でまた各界の方が招待されるので、受付で胸につけるリボンを渡すだけの役とかのバイトとかもありました。
これもたった数時間で1万円頂いたと思います。
ひょんなことから私は少しいい思いをしながらお金を稼ぐことができていました。

ただ、少し嫌になっていったのは、映画のキャンペーンガールになったこと。
色んなイベントに行くだけでバイト代をもらえるのですが、一度コンテストに出ることになり、提供された水着を着てランウェイを歩かされたこと。
私はモデルさんたちよりうんと背が低いのです。
この世界で160センチはちびです。
みんな低くても168センチ、平均170以上ある人ばかりです。
そして、体型も太ってはいないとは言え、自信などありません。
ついついモデルの友達と比較してしまうのです。
セパレートタイプの水着とはいえ、体型が丸出しです。
人前で裸になってるかのような恥ずかしさがありました。
そして、比べられるのです。
プロフィールと、宣材写真を撮られて人に評価をされるのです。
私としては屈辱でしかなかったのです。
美味しいバイトをたくさん頂き感謝してますが、これを機にあまりお声がけ頂いても行かなくなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?