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【MBTI】ESTJとINFPの違いを実感した話

バイト先に(自認)ESTJがいる。

身なりはいつも小綺麗で、仕事は正確無比かつ手際が良い。コミュニケーション能力も高く、同僚からの信頼も厚い。リーダーシップに長けており今や職場を先導する存在だ。

まるで絵に描いたような完璧超人であり、見事にESTJ像を体現している。

既に性格も能力値も大きく異なるのだが、最近彼女と会話をする中でESTJとINFPの違いを実感する機会があった。

それはスラムダンクの映画『THE FIRST SLAM DUNK』について話した時のことだ。


私(INFP)の感想

本作は26年ぶりの劇場版であり、原作者である井上雄彦が監督・脚本を手がけるということて期待値限界突破で劇場に足を運んだ。

内容は桜木花道擁する湘北高校とインターハイ連覇の山王工業高校との試合に宮城リョータの半生を組み込んだものだ。

原作通りそれまで無名だった湘北高校が桜木花道の覚醒を契機に無敗の山王工業を面食らわせる様はカタルシスの極みだ。

一方でこの原作にはないオリジナルストーリーは宮城リョータとその家族との陰影が滲む悲しき過去を描いている。

尊敬していた兄の死、母子家庭に対する偏見、優秀な兄と比較され続けてきた故の劣等感、母親への後ろめたさ といった悲しくも根深いバックストーリーはスポ根を体現するスラムダンクの原作にはなかった要素だ。

湘北高校のバスケ部員の中では特に深く掘り下げられることのなかったリョータにそのような裏設定が加えられたことで、私はより一層リョータに感情移入し、映画に没入することができた。

湘北高校の仲間と一緒に勝ちたいという気持ちは勿論だが、兄との約束を果たすという念願がリョータのバスケに対する情熱の源泉になっていることがわかったからだ。

人間は誰しも個別の事情を抱えており、各々の形で劣等感や孤独感、嫉妬といった歪な感情を有している。
スラムダンクに限らずスポ根ものはそういった辛い記憶や負の感情を表に出すことはない。
しかし実際そんな潔く綺麗な人間などいないし、むしろそういった弱さを持つ人間こそがリアルで等身大の姿だと思う。

本作はどこか現実味のなかった宮城リョータというキャラクターに悲しき過去を取り入れることでより身近な人間として捉えることができた。


同僚(ESTJ)の感想

同僚(ESTJ)の至上命題は”チームのために努力を惜しまず、困難を乗り越えながら成長し、勝負に勝ち続けること"である。

週刊少年ジャンプの三大原則である「友情・努力・勝利」がまさに彼女の価値観を体現していると言える。

そんな彼女にとってスラムダンクとは、やはり高校生たちが切磋琢磨し、強敵に打ち勝っていく単純明快な物語だ。

そこに雑念や感傷、憂いは要らない。

本作のオリジナルストーリーは宮城リョータの重苦しい過去を描いており、原作の前向きな雰囲気とギャップがある。

彼女が好きだったスラムダンクは「友情・努力・勝利」の三大原則を満たす青春スポ根漫画であり、本作のような暗く重いストーリーは不要だったのだろう。

※同僚(ESTJ)の発言に基づくが、発言の背景や合間を縫って私が選んだ言葉もある。


ESTJとINFPの違い

同僚(ESTJ)も私(INFP)も原作のスラムダンクが好きなことに変わりないが、劇場版のオリジナルストーリーに対する感想に隔たりがあった。

同僚(ESTJ)は原作通り、高校生たちがバスケの試合を通じて、仲間と切磋琢磨しながら強敵に勝つという青春スポーツ漫画的展開を期待していたため、原作とは異なる雰囲気を楽しむことができなかった。

私(INFP)は青春スポーツ漫画的展開に加えて、登場人物の繊細な心情の機微や行動に至る原動力や精神的支柱を描いた心理描写を求めていたためオリジナルストーリーを肯定的に受け入れることができた。

これはあくまで一例に過ぎないが、この感想の違いは認知の選好による部分が大きいと思う。

ESTJはTeを主機能に持つため客観的に構造や原則を把握する力に長ける。また補助機能にSiを持つため細部の注視力も兼ね備えている。
しかし劣等機能にFiを持つため、実用的なことや、社会的成功に意識が向きすぎるため他人への感情移入や内省を苦手とする。

宮城リョータの喪失感や孤独感といった複雑な内面に感情移入できないのはFi劣等故ではないのだろうか。

反対にINFPは主機能にFiを持つため、内省や感情移入を得意としており、リョータの歪んだ感情にも容易にアクセスすることができる。
しかし劣等Te故に構造全体を把握することを苦手とするため、客観的に作品全体を評価することや原作との違いを認識することに苦慮するかもしれない。





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