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極真空手

押忍!
空手歴10年、如月りろです押忍! 最初に押忍! って打った時「お酢」って出て来てそれでも私のパソコンか! と怒りを覚えました! 第二候補は「♂」でした! 

空手歴10年って言い方は今現在もやっていないと言っちゃダメな表現ですかね。本当は10年空手を習っていた事がある、です。
どうにも声優の仕事が増えなくて、どうして良いか分からず、考えた結果空手を始める事にしたんですね~。
先輩声優に「何がしたいの?」と冷たく言い放たれたのを覚えています。

強くなりたかったんだよ。

心も身体も。
芝居なんて良く分かんないもん。筋トレしたら強くなるもん。身体強くなったらお前みたいな無神経な輩に何を言われても「いつでも殺れる」って余裕持てるもん。
嫌いだ嫌いだ。
空手をやってる奴はみんな気が弱いだとか、やった事もないのに知った口をきいたマネージャーも嫌いだ。

鬱々としていた当時の私は空手を始めて生き返った!
か、どうかは分からないけどとにかく空手は楽しかった。

知り合いが居たからと言う理由で極真会館の渋谷道場へ入った。
そこには世界チャンピオン、塚本徳臣さんが居てめちゃくちゃ活気のある道場だった。
型のヨーロッパチャンピオン、デンマーク人のカマカウさん、美人で強い、日本語も上手で優しい。私の憧れの師匠。やたら山登りしてたけど、デンマークって山がないから登りたかったんだってさ。一緒にスノボも行ったんだ~。
某有名クイズ番組の問題を考える仕事をしていた人に、その番組のボイスオーバー(英語が少し後ろに残ってる状態で日本語を被せる事)の仕事をやらせてもらったりもした。
拳の皮がめくれて痛いのも誇らしかった。
試合でレバーブロー喰らって悶絶した経験も貴重だと思う。息が吸えなくなってね、勝手に「あ……あ……あ……」って声出てきちゃうんだよ~。うふふ。

通ってる途中で極真空手は「緑派」と「松井派」に分かれた。私の流派は新極真会となった。
塚本さんは自分の道場を始め渋谷道場の黒帯をたくさん引き連れて居なくなった。
カマカウさんはデンマークへ帰っちゃった。最後の稽古の時は自分でもビックリするくらい泣いたよ。嗚咽したよ。
カマカウさんが最後、泣きながら絞り出すように「楽しかった」って言ったの一生忘れない。
白帯の時に基本を教えてくれた先生も沖縄へ帰っちゃった。
最初に渋谷道場を教えてくれた知り合いも道場を離れた。
クイズ番組の人もいつの間にか来なくなってた。
そして私も……だんだん足が遠のいた。
環境が変わると、同じ道場に通い続けるのは困難になる。このままじゃ月謝がもったいないと思い、辞める報告をしに久しぶりに道場へ行ったとき、師範に「また待ってます」と強く握手されて泣いちゃった。
自分で辞めるって言いに行ったのに何泣いてんだかって思ったかな。

素敵な青春だったなー。
思い返すと、ほんと「何がしたいの?」って話しだったなー。
声優としてどうにかしたいのだったら、きっともっと他の事したら良かったと思います。正解が見えない世界で頑張る事から逃げたのかも知れません。
でも心は整ったんですよ、ホントに。
プロフィールの趣味・特技欄に堂々と書ける事も出来ましたよ。
今でもやって良かったなって思うし。道場やジムへ行かなくても一人でちゃんと筋トレ出来る様な習慣が付いたのは間違いなくこの経験のお陰なんじゃないかなと。
やっぱガチンコでしょ!

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