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二択じゃない

知能が《知的障害》か《健常》かの二択でないことを知ったのは成人後のこと。

発達障害もグラデーション。
「ADHDの傾向がありますね」
最初、この言葉を聞いた時、モヤモヤした。
診る人によって診断が違うのは医療事故だろうと。
医者Aは肺炎だと診断してるのに、医者Bは肺ガンと診断してるみたいなもんだと、信用してなかった。


事実悩んでいる人は結構いた。

でもこれって知能がそう。
境界知能って「知的障害の傾向がありますね」ってことだし。

属性って《ある》か《ない》かの二択じゃない。

身長って《高い》か《低い》かの二択じゃない。
体重も《重い》か《軽い》の二択では割り切れない。
乳房も《有る》か《無い》かの二択じゃない。ABCD…と、サイズがある。
生と死もそうなのかな。分からんけど。心臓が止まれば死だとしても、しばらく生きてるよね。どこからが死なんだろう。
怠惰という《性格》においても、怠惰か勤勉かの二択じゃない。本当に寝たきりの怠け者もいれば、仕事はしないけど筋トレはする怠け者もいる。
僕はワックスが効かない髪質を持ってる。
二択じゃない論で言うなら、髪質も剛毛じゃなくて、剛毛寄りなのかも。

何を基準にするかで答えが変わる相対的なもの。

そう解釈すると、いつからうつ病になったか分からないのも納得できた。
うつ病と診断されても歩けるし、笑えて喋れる自分に疑問を持ったが、納得できた。

なら、行動も二択じゃないはず。

今は心が折れて行動できないけど《ビミョーに行動する》というグレー行動で、ちょっとずつやっていこうと思う。

PS.

逆に二択で割り切れるもの。
それらのものって人工的なものだと思う。
学歴とかそうじゃんね。
東大卒か違うかっていうのは、二択で決定できるし、確かなもの。
ノーベル賞もそう。
僕は確実に獲ってないと断言できる。《獲得》か《未獲得》かの二択だ。
でもそれって、人間が人工的に作った定義。
正社員か非正規かもそう。結婚か未婚かもそう。
友達か否かもそう。
勝ち組、負け組も二択で決められないし、善人か悪人かの決定は露骨に主観的な決めつけだ。
天才か凡人、若いか老いてるかも。
今の時代で言うと、インフルエンサーか否かもそう。

イエスかノーで割り切れるものって誤謬を生じさせたり、将来変わる可能性が高い幻想だと思います。

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