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IF有能

《アルジャーノンに花束を》という小説がある。

知的障害を持った青年が、科学技術で天才になる話だ。

もしそうなれたら…というのはたまに考える。
なれたら主人公のように驕り高ぶるだろう。

学生時代、とても要領のいい同級生がいた。
その同級生は能力ゆえか、常に周りの人間を見下しているような天上天下唯我独尊人間だった。
事実地頭は自他共に認めるほど良いのだ。
僕も地頭が良ければ彼のようになっていただろう。

しかし同時に無気力でもあった。出来すぎるがゆえにか分からないが。努力や向上心は無かったように感じる。
課題を捌き、惰性で生きる。それでも上手くいくからその姿勢は崩さない。

しかし僕はそんな彼に魅力は感じなかった。
口を開けば他人の悪口ばかり、集団の課題に真剣に取り組むことはない。

僕はそれに巻き込まれた。
いかんせん僕はやる気はあるが地頭が悪いタイプだったので、にっちもさっちもいかなかった。それでも集団が協力してくれれば何とかなったことは多くある。協力してくれる集団が有能でなくてもだ。

分身で集団が出来るとして、彼の分身の集団と、僕の分身の集団ならば、要領は悪くてもやる気はあるので僕の集団の方が相対的に良い結果になりそうだ。ウサギとカメのような感じだ。

有能だが怠惰な集団は、酷い結果を生んだ。
学校祭に向けて何かしないといけないのに、誰も、何もやろうとしない。
僕は辟易としてしまった。
当然なあなあのまま当日を迎え、結果は保育園児童にも劣るパフォーマンスになった。
それからというもの、僕は学校祭がトラウマになった。
他の学校では学校祭が楽しかったので、やはり環境なのだろう。本当に周りには辟易とした。向上心ややる気が無い人間は、有能でも天才でも全く魅力的ではない。

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