大海の底辺より井の中の頂点

学生時代の頃の方が幸福度は高かったと思う。

遊びでは身内での順位付けがあった。身内で切磋琢磨するのが刺激的だった。
当時子供たちの間で流行っていたベイブレードや遊戯王。狭い世界だから楽しめていた。
しかしネットが普及しきったことにより、世界ランキングが分かってしまい、遊びでやっていても世界レベルのプレイがチラつき、身内で競うのがバカバカしくなってしまう。
そういう意味では北朝鮮などの規制まみれ検閲まみれの国の方が幸せなのかもしれない。
身内ネタというのは大海に出ると通用しない。ならば大海に出さなければいいだけの話だ。世界はひとつじゃない。
大きさが違うだけで井戸も大海もコミュニティだ。
井戸の中という世界で楽しければいいのだ。
大海基準で見ると底辺でも、井戸基準で頂点なら(大海を知らなければ)幸せだし、所属欲求は満たされている。
家族との関係を大切にした方がいいのは、根本的な欲求が満たせるからだ。
家族もコミュニティ規模で言ったら井戸だろう。

コミュニティは小さければ小さいほど、満足できるハードルが低い。
大海を目指すのは井戸の頂点になり、所属欲求を満たしたにもかかわらず物足りなくなってからでいいだろう。

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