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強さだけが良さではない

最近、昔やっていたモンスターハンターを再び始めた。

ひたすら強い武器や戦術、効率を求めてやることはなくなった。
強さだけが全てではないと思考が変わった。
はたから見たら《縛りプレイ》のようなことをしているのかもしれないが、楽しい。

もちろん最初からそういう縛りプレイのような事に楽しさを見出す人もいるだろうし、大人になっても効率や最強を追い求める人もいるとは思う。自分個人が最近になって「最強や効率が全てじゃないな」と勝手に思い始めたというだけ。
ゲームなので文字通り《遊び》が必要なのだ。

《最強しか許さない》というのは、選択肢がひとつだけの状態だと、単純につまらないだろう。

見応えのある野球試合はメジャーだけではない。
高校野球も充分面白い。各学校や学年、人にドラマがある。それらは強さとは別の魅力がある。

だから僕は思うのだが、マンガなどで最強のキャラクターを好きになっている人はガキンチョだと思う。
進撃の巨人に出てくるリヴァイ兵長や、呪術廻戦の五条悟。
そういう人はゲームでも最強キャラを選んで強い技ばかり使うが、遊びの幅が少ないからすぐ飽きるのだ。
マンガもにわかになる。
進撃の巨人でリヴァイが好きだと言っている人はガキンチョかつにわか。

現実世界の例をもっと出すと、金やルックス、能力だ。
「美形になりたい」とか
「天才になりたい」とかだ。
目に見える〈強さ〉にこだわっている人間は分かっていない。視野というか、価値観が狭いと思う。
メジャーやランボルギーニではなく、少年野球やミライースの良さが分かれば分かってる人だね。

ふふん。


環境

環境によって分かりやすい情報が変わるというのもある。
バトル漫画なら〈最強〉という属性は分かりやすくなる。
ギャグ漫画や日常漫画で最強属性は目立ちにくい。

現実世界でもそうで、戦国時代なら純粋な腕力は目立つだろうが、平和な時代なら純粋な腕力は目立ちにくい。
今目立っているのは〈お金〉だ。何をするのにもお金が必要なので、貧富は目立つ。
目立つということは分かりやすいということだ。
本質はそこじゃないにしても。
アイドルの世界ではルックスが分かりやすい指標だ。それが全てと言っても過言ではない。
SNSにおいても、いいね数は目立つ。目立つのでその基準が魅力として強くなる。
そうなるといいね数が説得力を持つし、(少なくともSNS上では)いいね数が価値としての指標になる。
しかし先ほども書いたが、本質はそこではないの。
バトル漫画で強い人間がいても、それを支えている人間の方が働きとしては大事なことをしていたりする。
リヴァイ兵長はたしかに強いが、立体機動装置と超硬質ブレードがなければ巨人とは戦えない。
作中で人気がないどころか、本編において作成者は描写もされていないが、立体機動装置と超硬質ブレードを作ったアンヘル・アーネルトンの方が重要度では大きい。これが無ければいくら人類最強でも巨人には勝てない。

作中での貢献度ハンパないのに、ピクシブ記事すら無い…

現実世界でもそういうのはある。資本主義の現代で貧乏でも、貧乏だからこそ節約技術が習得できたり、SNSで全然いいねがされていないとしても、的を射ている意見という可能性は十分ある。
評価されている物事は素晴らしいが、評価されないことが素晴らしくないわけではないし、なんなら評価されていることより素晴らしい可能性もあるの。
noteを見ていると、特にその傾向を感じる。

30秒で読み終わるようなペラペラの内容に、なぜだか大量のスキがつけられているのだ。

最初はやはりスキ数が目立つ…というか、題名とスキ数しか分からないので「こんなにスキを貰っているのだから、きっと素晴らしい記事なのだろう」と思って見る。でもその記事はただの日記だったりすることに、何度も見ることで気付く。
逆に「なんでこんな素晴らしいのが伸びないの!?」という記事は、noteをやればやるほど発見できる。
これはYouTubeやインスタなど、他のSNSにも言えるのだろう。チャンネル登録者数とか、フォロワーとか知名度とか再生回数とか…。
でもそれは本質じゃない。

スキだけが全てじゃない。
強さだけが全てじゃない。

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