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踏み込んだ分だけ返ってくる

私は長年踏み込んだ分だけ傷付くという経験を多くしてきました。
そのせいか「これ以上は」というラインが人よりものすごく慎重で相手から私のことは見えないくらいの距離に立っていたような気がします。
実際「ミステリアスだね」「生活感がない」というようなことを言われたりもしました。
これに関しては誉め言葉じゃないんだろうけど私自身ミステリアスとか生活感がないことに憧れもあるのでそこは「まぁそうかな」と受け入れていました。

最近急に「そろそろ自分が動かないと」と思うことが多発し、そうせざるを得ないからよっこいしょと重い腰を持ち上げた訳ですが今のところそこそこ順調です。
もちろんこれから先ガーンと頭を殴られるような、今までよりずっと酷いことが待ってるかもしれない。
でも今それなりに前に進んでいる実感もあるからこのままでいこうかな、と。
失敗したらまたやり方変えればいいんだし、といつになく肩の力を抜いて問題に向き合えている気もしています。

新たな通院先の問題
母との話し合い

この2つをそれなりに良い感じで終えられたのも大きいのかもしれません。
通院先の件はあちらもお仕事ですし、私もクレームを入れたりしたい訳じゃなかったのですんな値解決。
母の件はそれはもう根深いので即解決とはいきませんでした。(多分すっきりきっぱりさっぱり解決なんてないですし)
でも私にとって許しがたいことの一部はちゃんと伝えましたし(それで母がどうするかはあちらに委ねるしかないけれど)幼少期は恐ろしすぎて到底実行に移せなかったことをできた事実だけでも自分を思いきり褒めてあげたいです。

人と人はどんな繋がりがあろうとも全く別の人間。
完全一致!なんて絶対にありえない。
でもその中で自分が、相手が、どれだけ譲歩して妥協点を見つけられるかで関係性って大きく変わってくるんじゃないかなって。
「妥協点」って後ろ向きと捉えられることもあるかもしれませんが私の人間関係においてはかなり適切な表現だと個人的に感じています。
しばらくはお互いの妥協点を見つけていく日々になりそうです。
そのために必要な「踏み込み」は続けていきたいと思っています。

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