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【連載小説】積木の部屋   第7話


登場人物


本田エージ    カオリの恋人。23才。就職浪人中のフリーター。

工藤カオリ    エージの恋人。25才。M総合病院の看護師。

西尾タツヤ    カオリの元不倫相手。37才既婚。M総合病院の内科医。

小島モエ     エージの元彼女。23才。キャバクラ嬢。源氏名はリオ。

川口アキオ    モエの常連客。42才バツイチ。工務店社長?実は…

西尾レイコ    タツヤの妻。33才。M総合病院院長の娘。

本田マキ     エージの妹。20才。和歌山の実家で母と同居している。

本田シズカ    エージとマキの母。45才バツイチ。7年前に離婚した。


果物ナイフを手にしたカオリは、亡霊のようにゆらりと立ち尽くし、何やらぼそぼそと呟いている。焦点の定まらないその目は、完全に逝ってしまっていた。                                           「カオリ、早まるな!ナイフをこっちによこせ!」                           すっかり気が動転した俺は、必死でカオリに呼びかけた。                              西尾は激しく狼狽し腰を抜かしてその場にへたり込んでいる。情けない奴だ。カオリをここまで追い込んだのは、あんたのせいだろうに…責任取らんかい、ダボ!                                              「エージくん、私…もう死にたい…」                               カオリは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、ナイフを自分の左手首に突き付けた。俺はナイフを奪い取ろうとしてカオリに覆いかぶさったが、揉みあいになった挙句、カオリが手にしたナイフの刃先が俺の左の二の腕をスーッと刺さり、血がぽたぽたとリビングの床にこぼれ落ち赤く染まっていった。                          「キャー!エージくん!」                            カオリは半狂乱で取り乱していた。俺は痛みを感じながらも、カオリの右手からナイフを奪い取って、台所のシンクに放り投げた。                      その時、玄関扉が勢いよく開いて一人の男が慌ただしく乱入してきた。 「おい!大丈夫か!」                             誰や?と思い乱入してきた男に視線を向けると、以前どこかで会った事があるような?あぁ、思い出した。モエと一緒に牛兵衛に来た…川口という男だ!しかしなぜ、彼がうちに来たんやろう?                   続けて今度はモエがやってきた。一体どうなってるんや?                「エージ、大変やん!はよ手当せな…」                  「モエちゃん、かなり出血しとる。血ぃ止めな!救急車呼ぶわ。」           川口はモエに指示すると、救急車を手配した。モエは止血する為に、フェイスタオルを俺の左腕の傷口に巻き付けた。                      「モエ、これはどういうこと?なんで川口さんが?」                  「川口さんはな、兵庫県警東灘警察署の刑事さんやねん。」                    衝撃の事実に俺があたふたしている横で、川口が西尾を取り押さえていた。西尾は無抵抗で観念しているようだ。                            「話はゆっくり署の方で聞かせてもらうで。」                           しゃがみこんで呆然と眼前の出来事を眺めているカオリを、モエが寄り添って抱きかかえていた。                                       「とりあえず先に手当てせな、詳しい事は後でゆっくり話すわ。」                     モエと川口に促されるまま、俺はモエに付き添われ救急車に乗り込み、カオリと西尾は川口の車で東灘署へ赴いた。                                マンション周辺は一連の騒動でマンションの他の住人や近隣住民らが野次馬となって騒然となっていた。

                                   俺は搬送された病院で治療を終えた後に、モエから真相を聞かされた。                              川口は十年前のレイプ事件の捜査を担当していた。有力な目撃情報や被害者であるカオリの供述に基づいて、やがて捜査線上に西尾タツヤが浮かび上がった。しかし県会議員と深い繋がりがある資産家の西尾の実父が兵庫県警に圧力を描けてきた為、中途で捜査が打ち切られてしまった。西尾に容疑の疑いを持っていた川口は単独で捜査を進めていたところ、西尾が足蹴無く通うキャバクラで常連となっているモエの存在を知ることとなり、川口も当初は刑事である身分を隠してモエの常連となって、親しくなったところで身分を明かしてモエの協力を得る事となった。半年前に西尾の実父が、収賄容疑で書類送検された事で、再び本件の捜査が再開された。時効が迫っている事も相まって捜査は急ピッチで進められ、DNA鑑定の結果が決め手となったそうだ。                                             「ゴメンな、エージに嘘ついて利用して、こんな目に遭わせてもうて…」                   モエは申し訳なさげにうなだれていた。                              「気にせんでええよ。これでカオリが救われるんやったら、この程度の怪我、なんともないで。」                                        嘘・偽りのない本心だった。カオリを苦しめていた闇を、どうにかして取り除いてやりたいと俺は心底望んでいた。                            「エージはほんま、カオリさんに惚れてるんやな。」                       「ところでモエは、このままキャバ嬢を続けるんか?」                     「いやぁ…もう辞めるで。実はな、司法試験に合格したんよ。で、川口さんが紹介してくれた弁護士事務所で来月から働く事になってん。」                 「マジか、凄いな…キャバ嬢しながら勉強してたんやな。」            俺は正直驚いた。確かにモエは見た目は派手でチャラいが、頭の回転が早く弁も立ち、加えて面倒見の良い優しい人柄も垣間見える。モエなら将来は優秀で人情味溢れる弁護士になれるだろうと思った。                            「エージはこの先どうするん?」                           「カオリが立ち直るまで俺が支えようと思ってる。」                                             「そうか…あんま無理したらあかんで。困った時はいつでも相談に乗るで。」                                        「ありがとう…」

西尾はレイプ事件の容疑者として逮捕された。事件はメディアでも大々的に取り上げられ、義父であるⅯ総合病院院長の逆鱗に触れた西尾は医師免許をはく奪、妻・レイコとも離婚となった。身から出た錆であるが、地位も名誉も家庭も失う事になった。                                                                            カオリはレイプ事件の被害者であるが、約5年に渡り加害者・西尾を脅迫し続けて総額およそ三千万円にも上る金銭を脅し取っていた事が新たに判明した事により、恐喝罪で逮捕された。                                                         カオリ自身も今回の逮捕で、厳格な両親及び親族一同から絶縁を言い渡された。帰る場所を失い深く傷ついたカオリを救えるのは俺しかいない、そう思わずにはいられなかった。                                        俺はカオリが刑期を終えて出所するのを待っている間に、牛兵衛の店長から以前より打診されていた、2号店の店長候補としての正社員への登用の話を正式に受諾した。がむしゃらに働いて2号店の店長となって、カオリが無事帰ってきたら籍を入れて二人で店を切り盛りしていければと思っていた。

俺は服役中のカオリに何度か手紙を送った。俺自身の近況と出所後に籍を入れて二人で暮らしていきたい旨を伝える内容をしたためた。               カオリからの返事は俺への謝罪と懺悔の気持ちで埋め尽くされていた。       出所後の入籍の件は、今一度考えさせて欲しいとの事だった。カオリ自身が気持ちの整理がついていないのと、前科者の自分が伴侶になる事で俺の今後の人生に大きな負担を掛けてしまう事への懸念と不安がどうしても拭えないからだそうだ。                               もちろん俺はカオリに前科が付いたって一向に気にしない。ありのままのカオリを受け入れて、二人で一生涯連れ添って生きていく事を望んでいる。 傷だらけのカオリを救うのは目の前の俺だけさ、と手紙に綴った。


                   つづく



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