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【連載小説】積木の部屋   第8話 最終回


登場人物


本田エージ    カオリの恋人。カオリの出所を待つ焼き肉店店長。

工藤カオリ    エージの恋人。強姦事件の被害者だが恐喝罪で服役中。

西尾タツヤ    カオリの元不倫相手。強姦罪で服役中。

小島モエ     エージの元彼女。キャバクラ嬢を経て弁護士へ転身。

川口アキオ    強姦事件容疑者の西尾を追っていた東灘警察署の刑事。

三田村マキ    エージの妹。トモカズと結婚し長男・カイトを出産。

本田シズカ    エージとマキの母。娘夫婦と同居し孫の面倒を見る。

三田村トモカズ  マキの夫。義母・シズカと同居する。市役所勤務。

三田村カイト   マキとトモカズの生後間もない長男。


ー3年後ー                                                                         工藤カオリが逮捕されてから早3年の月日が流れた。                              刑期を終えたカオリが出所する日、本田エージは山口県岩国市の女子刑務所まで赴いた。親族、友人、知人から絶縁されたカオリを出迎える者は誰一人としていなかった。唯一、恋人・エージを除いて・・・

3年振りに再会したカオリの容姿は相変わらずため息が出る程の美しさを保っていたが、その表情は少しやつれていて3年の歳月を感じさせた。                                 「カオリ…お疲れ様。さあ、行こうか…」                                 「エージくん、わざわざこんな遠くまで…ありがとう。」                      カオリは俺を見るや否や、激しく嗚咽を漏らした。                        俺らはタクシーで新岩国駅へ赴き、新幹線で神戸までの帰路についた。                    車中では殆ど会話を交わす事なく、ひたすらお互いの手を握ったまま眠りについていた。

以前二人で住んでいたマンションは、忌まわしい騒動を起こした事で大家から退去を言い渡されやむを得ず引越しを余儀なくされたので、およそ一駅分ほど離れた場所にある2LDKの賃貸マンションへ転居した。                   築年数が古く最寄り駅から離れているので家賃は以前よりも多少安く、近所にスーパーマーケットがあり、室内は今風にリフォームされているので特に不都合を感じる事はなかった。                                 さらに半年前から晴れて牛兵衛2号店の店長に抜擢されたので、今まで経験した事のないような多忙を極めているが、給与はバイト時代の約2倍に増額しやりがいを感じながら充実した日々を送っていた。                                     「カオリ、ここが新しい住居やで。今日からここで二人でやり直そうよ。」 「何もかもエージくんのお世話になりっぱなしで…本当にありがとうね。」「何言うてんねん。俺は一生カオリのそばにおる。俺がカオリを支えていくよ。何があっても離さへん。」                                カオリは感極まって大粒の涙を流した。俺はそんなカオリが愛おしくてたまらなかった。                                          今までの事は全てリセットして新たな気持ちでこれからの人生を歩んでいこうと、簡単に切り替える事は今のカオリにはまだ無理なようだ。それだけカオリが負っていた傷は深すぎた。                                 二人で話し合った末、当分は心療内科に通院してカウンセリングを受けながら、焦らずゆっくりと自宅療養に専念する事を勧めた。カオリも俺の申し出を了承してくれた。

俺とカオリの新たな生活が再開されてから二か月ほど経った。                    かねてから交際していた彼氏と無事結婚し、つい先日第一子の男の子を出産したばかりの妹・マキから、俺とカオリ宛に出産報告の手紙が届いた。同封された子供の写真を見てカオリは「エージくんに似てるね。」と微笑んでいた。産まれたばかりの甥っ子の写真は、今までの忌まわしい出来事を忘れさせてくれるかのように、俺とカオリを癒してくれた。                          「ねえ、次のお休みの日にね、お祝い買いに行こ!」                         「そやな。カオリも病院と家の往復だけやもんな。気分転換になるし、行こか。」                                               そうして俺らは甥っ子へのお祝いの品を購入し、日時を調整して二人で和歌山の実家に行く事とした。甥っ子と対面したいのと、お袋とマキとマキの旦那さんにカオリを紹介したいとの思いがあったからだ。カオリも和歌山は初めてなので楽しみにしていた。

めっきり秋も深まった11月の半ば頃、俺はカーシェアリングで借りたコンパクトカーでカオリと和歌山の実家へ向かった。                              大学2年で自動車免許を取得して以降、年に数える程度しか運転する機会はなかったが、運転自体は好きな方なので俺はカオリとのドライブ旅行を楽しんでいた。助手席のカオリは眼前に広がる景観にはしゃいでいた。                     久しぶりに見るカオリの無邪気な姿に、俺はほっと胸をなで下ろした。  俺はカオリとのかけがえのない幸せな時間が永遠に続いて欲しいと心の底から願っていた。                                        「ただいまー、帰ったでー。」                                        「あらぁ、おかえりー。そちらはカオリさんやね、はじめまして。エージの母です。ほんまにべっぴんさんやなぁ~」                                 「はじめまして。工藤カオリと申します。エージさんにはいつもお世話になってます。」                                              お袋は俺とカオリを快く出迎えてくれた。レイプ事件やカオリの逮捕の件も包み隠さず全て伝えた上で理解を示してくれていた。             お袋は追突事故に遭って以降、大事には至らなかったが若干の後遺症が残った為に長年続けていた仕事を辞めた。そのかわり共働きのマキ夫婦と同居し孫の面倒を見る日々を送っていた。                                      奥の和室に赴いた俺とカオリは初めて甥っ子・カイトと対面した。                      「うわぁ~可愛い~。」カオリはカイトの寝顔を覗き込みデレデレになっていた。天使のような寝顔でスヤスヤ寝息を立てて機嫌良くお昼寝しているカイトを取り囲んでニンマリしている俺とカオリにお袋が唐突に問い正してきた。                               「なあ、あんたらまだ籍入れへんのか?どないするん?」                       俺とカオリは不意を突かれ、やや狼狽してしまった。                       「まあ、落ち着いてからや。そんな急かさんとってよ。」                      俺は当たり障りのない返答でその場をやり過ごした。カオリはまんざらでもない表情で微笑んでいた。お袋はカイトへのお祝いの品を開封していた。中身は有名ブランドの子供服だ。                                              「あらまぁ、可愛らしいなぁ。ありがとうな。マキも喜ぶわ。」                  そこへマキが帰宅してきた。久しぶりに見るマキは、以前よりもややふっくらして母親らしい柔らかな表情が印象的だった。                         「あら、お兄ちゃん、おかえり~。カオリさん、いらっしゃい。遠いのにわざわざありがとうございます。ゆっくりしてって下さいね。妹のマキです。いつも兄がお世話になってます。」                                              「はじめまして。工藤カオリです。こちらこそ、いつもエージさんにお世話になってます。」                                          人が増えて周囲が騒がしくなってきた為か、空腹を感じた為か、カイトが目を覚ましてぐずりだした。マキはカイトを抱きかかえてあやしながら隣の部屋へ移った。母乳を飲ませているようだ。お袋は台所で夕飯の準備にかかっていた。そうこうしている内にマキの旦那さん、俺の義弟が帰宅した。    「お兄さん、カオリさん、いらっっしゃい。よく来て下さいました。僕は三田村トモカズと申します。後で一緒に飲みましょうね。」                   「はじめまして。工藤カオリです。本当にいつもお気遣いして下さってありがとうございます。」                                  義弟・トモカズくんとは、マキの結婚式以来一年半振りの再会だった。当然カオリとは初対面だ。浅黒く日焼けして長身でがっしりした体格の爽やかな体育会系のイケメンといった風貌のトモカズくんは、裏表のない穏やかな性格でカオリの件も特に気にしないばかりか逆に何かと気遣ってもらって、その優しい人柄に俺もカオリも好感を持っており、マキの伴侶がトモカズくんで本当に良かったと心から思っていた。                              「ご飯出来たで~。」テーブルにお袋の手料理が並んでいた。実家の晩飯は実に何年振りだろうか。俺とトモカズくんはビールで乾杯した。     「お兄さんとカオリさんは、いつ結婚されるんですか?」                     「そやで。お兄ちゃん、ぐずぐずしてたらカオリさん綺麗やから他の男に取られるで~」                                             マキもトモカズくんも遠慮なく俺らを冷かしてくる。ふと隣を見ると、なぜかカオリは涙ぐんでいた。                                   「カオリ、どないした?」                                      「うん…うん…こんなに優しくしてもらって、嬉しいの…こんな暖かい家庭に憧れてた…エージくん、お母さん、マキさん、トモカズさん、本当にありがとう…ありがとう…」                                               親族から絶縁され帰る場所を失くしたカオリは、家庭の温もりに飢えていたのだろうか。カオリの実家は代々続く名家で、両親はカオリを厳しく躾けて育ててきた。しかし幼少期から出来の良い姉と比較され、やがて姉ばかり優遇する両親に対して卑屈な感情を抱く様になり、自分でも気が付かぬうちに心に闇を抱えてしまったようだ。そこへきてあの忌まわしいレイプ事件がとどめを刺してカオリの人生を大きく狂わせてしまった。                      「カオリさん、遠慮せんといつでもここへ来てや。」                       「お母さん、ありがとうございます…」                             カオリは顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。俺ももう少しで泣きそうになった。お袋の心遣いが感謝してもしきれない程に心に沁みたのだ。                  俺とカオリはささやかな幸せを噛みしめていた。俺はトモカズくんと夜が更けるまで飲み明かした。

実家に一晩泊まって翌日俺とカオリは神戸に戻った。                         俺はカオリとの甘い生活を送りつつ仕事に精を出していた。お陰様で店の方は繁盛して毎日忙しく過ごしていたが、カオリに支えられながらも充実していた。                                                 しかしそんな幸せも長くは続かなかった。俺らのささやかな幸せを嘲笑うかのように、いとも簡単に粉々に打ち砕く目を覆いたくなるような出来事が、ある日突然襲い掛かってきた。何の前触れもなく…                         その日は店の定休日で、俺はカオリと婚姻届を提出する為に区役所へ向かっていた。年末の押し迫った師走の良く晴れた日だった。吐く息も白くなり、俺とカオリは寒さに震えながらも区役所を目指して歩いていた。                    「やっと夫婦になれるんやね。嬉しいよ。」                              「うん。エージくん、幸せになろうね。」                            その時、背後から得体の知れない何かが忍びよってくるような気配を感じた。その瞬間、カオリが悲鳴を上げた。刃物を持った中学生ぐらいの見知らぬ少女がカオリの背中を一突きに刺した。俺は眼前の出来事に思考が追い付かず混乱しながらも、身を呈して血だらけのカオリを少女の攻撃から守っていた。少女は激しく震えながらカオリを罵倒していた。                             「あんたのせいでうちはメチャクチャになったんや!お父さんを返せ!」   少女の叫びに俺はハッと気が付いた。数日前、服役中の西尾タツヤが獄中で首を吊って自殺したと報道されていたのを思い出した。少女は西尾の一人娘・西尾アリサだった。                                    俺はカオリの背中に刺さった刃物を引き抜いて、スマホで救急車を呼んだ。アリサは抵抗しながらも、通りがかりの中年男性に取り押さえられていた。周囲が騒然となっていた所へ、警察が来てアリサは連行されカオリは救急車で運ばれた。搬送先は奇しくもカオリが勤めていたM総合病院だった。

懸命の治療も虚しくカオリは3時間後に息を引き取り、アリサは殺人容疑で逮捕された。                                             突然やってきた悲劇に俺は為す術もなく、今まで積み上げてきた大切な宝物は、積木のようにあっけなく崩れていった。                         山下達郎のクリスマス・イブが街中に流れている12月の神戸の寒空に粉雪が舞っていた。


                   おわり

                                       




















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