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狸の解剖と闇夜の出来事

二月五日 清語通訳を訪問の帰途、二宮如山じょざん(敬作)に出遭ってその自宅に行きます。如山は「指頭書しとうしょ(指で書いた書)を作り、余に贈ってくれた」。書を持ち帰ろうとしたら、如山から、今日は狸が手に入った、これをあつもの(狸汁)にするので喫してはどうか、と誘われます。留まって、前々日にも会った塾生浅海琴谷と話をしていると、狸の解剖(剖開)が始まりました。

如山が小刀を執って(狸の部位を)一つ一つ切り分けて示し、弟子達に教える。しばらくこれを続けて指導を終えると、裁断した狸肉を大鍋で煮込んだ。如山の息子逸次をはじめ弟子達は仲良く車座になって座り、それぞれ膳の前に大茶碗をささげ持って酒を牛飲した。ものすごい豪快さだ。

 弟子達は次第に散って行き、最後まで残ったのは如山と逸次の親子、塾生の今井純正と弥太郎だけでした。「箸拳や指相撲を秘技を尽くして戦い、余はしばしば敗れた」逸次を連れて寓舎に帰り、下許武兵衛に「如山を何度も訪ね、西洋文武の制度に関して彼らに頼っているので、今日は少し接待してはどうか」と提案し同意を得ます。

 今井も二宮塾の一員で、この日の集まりに最初からいたはずですが、弥太郎は一度しか触れておらず、両者の緊張した関係が偲ばれます。それでも、土佐人らしく大酒を飲んでの箸拳や指相撲は、一緒に楽しんだと想像されます。その後は別行動のようですが。

 阿園おそのがいると聞いて行った店は満席で入れず、別の店で彌太郎は歌妓の歌曲にうっとりし、ひどく酔います。ここで店の「老婆」と支払いなどをめぐって悶着があった後、逸次と共に店を出ます。

大燭たいしょく(大きな明かり)を持ち、道を照らしながら歩いていると、暗闇から余を呼ぶ者があった。驚愕してこれを見ると、前夕に戯れた築耬の遊女(新築耬のたつみだった。余は怪しんで急歩し、女の左手を取って、なぜ暗中に歩くのかと問うと、故あってのことです、と答える。

 理由とは、あなたを待っていたから……との言葉に弥太郎はとろけそうになります(精神蕩散とうさん)。で、(なぜかまた)左手を持って急歩しようとしたところ、逸次が立ちはだかり遊女を怒鳴りつけました。遊女は脅え、弥太郎は逸次に道を開けてくれと頼みます。

 震えてもたれかかる遊女を、弥太郎は「飛ぶ鳥が人になったよう」とその可愛さを(阿園の時と同じ成句で)表現しています。直後、なぜか逸次が橋から足を踏み外し、石段を転げ落ちます。弥太郎は急いで助けに行き、無傷であることを確かめました。

 弥太郎は遊女を萬屋町まで送り、逸次を恐れて震えの止まらない遊女に、次の機会を約束して別れました。しかし、橋に戻って逸次を呼んでみると、静まりかえっていて影も形もありませんでした。

 寓舎に戻ると、有力商人久松寛三郎の家来から甚だしく無礼な話があった、と下許が怒っています。弥太郎も一緒に久松善兵衛のところへ行くも、体調が悪いのでと「不出迎え」、家来に用件を伝えました。中沢寅太郎も加わってしばらく談話をし、多事の一日が終わりました。

 この日の日記を読んで、私は井伏鱒二の「夜ふけと梅の花」を連想しました。些事を刈り取って形を整えれば、小さな短編小説になりそうです。長崎丸山の遊女は、江戸吉原と違って遊郭の外に出ることができたらしいので、二宮逸次が巽を怒鳴るのは不可解なようなのですが、身分の違いや、外部の者には分かりにくい暗黙の掟など、背後に事情があるのかもしれません。


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