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二月の雨、鬱屈、祭り……

二月九日~十一日 九日の日記は冗長な候文です(大部分を省略)。談話の正確な記録のため、漢文では難しいニュアンスや記録の正確性を求めたのでしょうか? それにしても弥太郎は二月に入って不調のようです。

九日 「雨。早起きしたけれど何となく心神が恍惚ぼんやりしている」弥太郎は、肌着の購入や昨夜の衣服を整えて行李に納めたことなど、生活の細部を記録しています。その後、下横目の斎藤駒吉(名字はここで初出)のところへ、今井純正の件で話をしに行きます。駒吉と同じ寓舎に住む中沢寅太郎は荷物陸揚げの用事で留守でした。

 駒吉は、今井に関して、町年寄の久松氏に聞き合わせをしたことなどを述べます。弥太郎は、今井をこれからどう取り調べるのか尋ねました。しかし駒吉は首をふり「純正は郷士の養育人なので町方(の役人)の扱いとなり、私どもでは(職掌が違うので?)どうこうできません」と答えました。

「寓舎に帰ると最早七つ時(午後四時)。雨音が絶えず(雨声不絶)、何となく心神が落ち着かない。甚だしく愚痴っぽいと思うけれど、周囲の成り行きのせいで心が揺れ動いてしまう(四辺之風色人心を蕩ス)という心持ちだ」「枕の上に明かりを灯し、文章軌範を読んで寝た」

十日  「雨。痴情(色恋の欲情?)は未だに醒めない。格別とりわけ読書に手がつかない」午後、昼飯と浴場行きの後、清語通詞のてい宇十郎を訪れ、資治新書と賊匪紛擾ぞくひふんじょう風説書を借りて、寓舎で読みます(資治新書は李笠翁りゅうおう(李漁)の編とあり、後者については説明がありません)。

 中沢寅太郎が来て、下許武兵衛も一緒に、駒吉が今井をどう扱おうとしているのか、弥太郎から昨日の報告をします。このまま(今井を)やり過ごしておいては国家(土佐藩)の恥辱になると話をしたものの、人事を預かっている駒吉は驚きもしないので、どうしようもない、と弥太郎は言います。夜も雨音は絶えませんでした(夜雨声不絶)。弥太郎の心は鬱屈しているようです。

十一日 小雨、午後は薄曇り。この日は「勝山の御役所(幕府の立山奉行所?)」内の稲荷神社で初午はつうまの祭りが行われました。「早朝から丸山の娼妓が一同で出かけ、街中に群がり入り乱れてとても賑やかだった。中にひとり、ふたり知己がいるではないか。心を奪われてうっとりした(精神恍惚)

 午後、飛脚屋から先月十三日発の故郷よりの手紙が届き、父母の安泰を知りました。何か嘆かわしいこともあったようで、「下許と手を叩きつつ(鼓掌)、談話をした」ともあります。夕暮れ、同宿の者と勝山を散歩すると「往来は人がぎっしりで、役所の門の前は自分の思うままには一歩すら歩けなかった」帰りに二宮塾の知り合いと出会い、丸山を散歩しました。

 最後に弥太郎は突然こんなことを書いています。「余が欲しいものなど何一つありはしない。公事を帯びて来たので(今の滞在のありさまは)江戸遊学の時とは似ていない」勉学に専心できた江戸滞在時に比し、公事に煩わされ、誘惑の多い今の状態は本意ではないということでしょうか。


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