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鬱状態? 恋の病?

一月二十一日~二十三日 芸妓阿園おそのとの交遊を楽しみ、仕事相手とも面会して、弥太郎の長崎暮らしは一見順調なのですが、心身の不調も記され、不穏な気配が漂い始めます。

二十一日 「昨晩の愚を甚だしく後悔し心神不安」とありますが、何が「愚」だったのか前日の日記からは読み取れません。が、反省して「鶏が鳴く前から明かりを灯し正座して読書」と勉強に励むのは弥太郎らしい。朝飯前に「明朝紀事本末」の一巻を読破、飯後に「文章規範」を読み、午後には清人との会合に備えて用意(筆談のため?)をします。

 下許と竹林亭に行くと、(楊)秋平と竹内静渓がいて筆談の応酬。前回同様、阿園が現れ、酒を飲みつつ談話します。秋平と静渓が去った後も、下許と弥太郎は阿園と残りました。弥太郎は阿園に魅入られている気配です。

余が少しばかり阿園と戯れると、阿園もまた微笑んで艶めいた言葉を返す。相携えて竹林亭を出た。店の下男が明かりを持って先導する。阿園が歩きながら歌う様子が好ましくて表しようがないほどだ。寓舎(宿屋=大根屋)の前で別れ、余は下男に金を渡した。

二十二日 「微雪。早起きしてたらいで口をすすぐ。腹中に少し痛みがあるので、布団の中で養生する」同宿の隅田敬治が二宮(如山)から煎じた薬を持って来てくれ、布団の中で呑みます。午後、浴場に行き少し快復(弥太郎、下許武兵衛、中技寅太郞の三人組は毎日のように浴場に通います)。

 その後、三人組で小曾根六郎(乾堂けんどう宅に行きます。室内には書画が沢山。「温酒」を振る舞われました。弥太郎は、六郎を「大言虚喝(大げさでほら吹き)の人物」と評し、下許の言葉の勢いに「盛気(活気)を失った」と、坂本龍馬や勝海舟の後援者という後のイメージからすると思いがけないことを記しています。

 寓舎に戻ると、朝の不調を忘れたのか、いろりを囲んで土佐の歌を唄い、深夜に眠ります。しかし日記には「昨夕から秘かに心神が不調で、恍惚の情を味わえない(=感情が麻痺している?)」「ひどくばかばかしく笑うべき状態だ(痴愚可笑也)」と記し、最後は「夜間寒さが甚だしい

二十三日 「天気和晴」。午後静渓らと、大音寺から嶺に登ると「眺望佳絶」。その後、中沢と丸山を散歩し阿園宅に行きます。豊後町の某楼にいると言われ、中沢と訪ねます。阿園は喜色満面で急いで降りて来ますが、今夕は客があり陪席できないと告げられ、翌日の約束をしました。

 その後、中沢の引っ越しと借金の件が記されています。今回は大根屋の主人新八に金を貸す話までが加わり、私(伊井)には委細を把握できません。ただ出納係弥太郎にとってストレスだったのは明白です。「いろりの火をおこし、一人座って物思いに沈んだ(独座沈思)」。阿園のことも思い浮かべたでしょうか。

 中沢寅太郎は長崎到着直後に大根屋とは別の旅宿にいたはずが、いつの間にか弥太郎らと同宿になっていました。そうだと分かるのは、23日の日記に山下屋という別の旅宿に引っ越すことになったと記されているからです。大根屋に越して来たことは書かれていません(はず)。他人の日記ですから、詳しい消息が分からないのは当然ではあるものの、少しばかり苛々します。


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